Dooard -ドアーズ- (2) 〔50万打&一周年記念フリー小説〕 酸味を孕んだ甘やかな木苺の香気が、エキゾチックな雰囲気さえ醸し出す室内に彩を加えていく。 浮世離れした、とまで表現すれば誇張になるが、艶のある木材で四方を囲まれた家は、オレの偏狭な常識の範疇外へ容易く位置するほどでかかった。玄関の扉をくぐってまず目に飛び込んでくる巨木でできた柱は、暗褐色で、妖しく蛍光灯の光を反射している。無機質な蛍光灯の光を意味深にもさせるようなその柱だけでも、いったいどの程度の値打ちがつくのか、オレなどの庶民的な金銭感覚では予測もできない。とりあえず、オレの財布と通帳とそれから貯金箱をひっくり返して、それを十倍にしても、とても手には入らないだろう。友人にも大きな自宅を構えているやつがいて、そいつの家へ行ったときには素直に「でけー家だなあ」と感嘆したものだったが、ここまでくると、その卑小な感嘆さえ呑み込まれ、何を今更、と諌められそうな気がしたので、できなかった。 全部で何部屋あるんだろうか。オレの手の指と足の指を駆使しても数え切れないだろうと思われる。 「でかい、家ですネ」 そこまでわかってはいたのに、それでも我慢できず、口にした。何を今更、と脇の太い柱がやっぱりオレを諌めた。ごめんなさい、怒られるのはちゃんと、わかってたんだけど。 「古い家だから」 ロイは興味索然とした様子で言う。 古い家すべてがこの規模だったら、とっくにこの国の国土は埋め尽くされています。 もちろん、そんな野暮天な言葉は飲み込んだ。そして代わりに言った。 「ご両親は?」泣き腫らしたせいでまだずんと重い瞼を、さっさと室内に歩を進めるロイの背中の方へ向ける。 家にはロイ一人、とオレが最初に此処へ尋ねたときに言っていただけれど、完全に一人暮らしというわけではないのだろう。オレと年齢もおっつかっつそうな青年がここで一人暮らしなんて、ハムスターに分譲マンションを買い与えるようなものだ。 「死んだ」 えっ、とオレは身を引いた。「それは、えと、すみません、ずけずけと」 「嘘」あっけらかんとロイは返した。「海外赴任中、長期の」 「な、」オレは釈然としない。「おまえな、縁起の悪いことを言うなよ、よくないぞ、それ」 オレは霊柩車が目の前を走り去ったときには、しっかり親指を隠す人種だ。殊更親に長生きしてほしいとか、親の生前に孝養しておきたいとか、風樹の嘆、なんて古い言い回しで居丈高に親孝行の貴さみたいなものを説くつもりはないけれど、霊柩車を前に親指を隠すとか、そういう文化みたいなものは尊いものだと思ってはいる。たとえオレが、父親の映りこむブラウン管を忌み嫌い、すぐさまチャンネルを回してしまうような奴だとしても、それとこれとは話が別だ。 「俺の中では死んでるようなもの」 冷然と言い放ちながら、ロイはこちらを振り返りもせずに台所へ向かい、やかんを火にかけた。整然と、ずらり並べられた夥しい数多の缶の中からひとつを選んで、観音開きの棚から取り出す。どうやら、紅茶の葉が入った缶たちのようだった。棚の扉を開くだけで、紅茶の芳醇な香りが鼻をくすぐる。そうしてから、彼は言葉を継いだ。 「否、ちょっと違うな。死んでるわけじゃない」その声には、何ら特筆できそうな感情は乗っていなかった。強いて言えば、無関心、か。「生きてない、っていうほうが、近いな」 生きてない、俺の中では。 その悲壮な響きに、オレは口を噤んで、少し目を伏せ、それ以上詮索しなかった。 今度は別の棚からロイは、ティーカップと、ティーポット、タオル、それからティーコジーという、ポットに被せる布製のものを取り出した。いずれも桃色の目立つ花柄で、可憐なものたちばかりだ。母親の趣味だからな、とロイが注釈をいれる。わかってるよ、とオレは笑う。 ロイが観音開きの棚から取り出した銀色の缶には、『フランボワーズ』とフランス語で記されたシールが貼ってある。紅茶になどまったく精通していないオレには、むろん初耳だった。知っている紅茶の種類と言えば精精、アールグレイと、それから、アップルティー、それから、いや、それくらいだ。余裕で人並み以下だろう。『フランボワーズ』なんて、そもそも、どこで区切って読むのかすらわからない。フラン・ボワーズ?フラン・ボ・ワーズ?フランボ・ワーズ? ロイに尋ねたら、「そんなことは重要じゃないだろ」と、すげなく返された。まあ、そりゃ、そうだけどさ。門外漢だからこそ知りたがる妙な部分って、あるだろう。 ティーカップとポットをお湯で温めておき、それから、タオルの上に置いたポットに茶葉を入れる。タオルを敷くのは、テーブルの面でポットが冷えないようにするためらしい。ロイは高い位置からお湯をポットに注ぎ、蓋をして、ティーコジーを被せる。このティーコジーとやらも、ポットを保温するためのものなんだそうで、どうしてそんなに神経質にポットを保温するのかと聞いたら、そのほうがポットの中で茶葉がよく踊るから、なんだと。よくわからん。 「あ、なんか、苺みたいなにおいがする」 くんくんと鼻をきかせて、ポットから匂ってきたフルーティーな香りを無作法に嗅ぐ。 「甘酸っぱい匂いだろ、フランボワーズはストレートが美味しい」 ロイの口から発されるフランボワーズという単語は、実にナチュラルだった。たとえばそれがオレの口から発されるときは、新手の早口言葉に苦戦しているかのようなぎくしゃくさで響くに違いない。ネイティブが感じる外人の片言さにも似ている。ネイティブがロイで、片言な外人がオレ。国内にして、ここには不可視の国境があるのだ。 ティーコジーを被せて、時計をちらりと確認すると、ロイは椅子に座った。オレも腰を下ろしている、食卓のまわりを取り囲むこの椅子も、さぞ高価なものであることは容易に推測できた。 「で」 ロイが口を開く。オレはその声に無意識に身構えた。 「まずは、状況の整理だ」 ああ、そうだった、とオレの心は思わず萎えた。この奇怪な状況を、暫時的に忘れることが出来ていたのに。できれば、考えたくなかった。まったく予見もできない未来のことを考えるのは、いつだって気が重い。希望が薄ければ、尚更だ。 「エドはここに迷い込んできたって言ってたな」 オレは正直に話すことにする。いまさら事実を捏造しても、意味が無い。「・・・ごめん、それ、嘘」 ロイは一瞬肩を竦めて見せただけで、驚きもしなかった。「たった今、そうだろうと思ったところ」 「・・・・ちょっと待って、ごめん、今、頭整理する」オレはゆるゆるとかぶりを振った。 「それがいいみたいだな」 「それより、紅茶、いいの?」ティーコジーに大人しくおさまっているポットを指差す。ティーコジーの、あの物々しさといったら、まるで結界だ。たかが紅茶に、大仰だな、なんて考えたら、全国の紅茶愛好家たちに怒られるのだろうか。 「三、四分、置いとくから。あと一分ぐらい待つ」 「ふうん」そんなに置いたら、逆に渋くなっちゃいそうだけどな。 頭を整理するとか言った側から、オレは大儀な気分になって、とりあえず交錯した複雑な思考を放棄し、紅茶の似合う男なんて初めて見たなあなんて内心で呟きながら眼前の青年を見遣った。目が合った。ロイは凛としていて軟弱な様子で目をそらしたりしないので、オレがそらした。なんだ、この、わずかな敗北感は。 「おい、ちゃんと頭整理してんのか」 お前は透視能力でも持ってんのか。オレはあわや漏らすところだった。そういえば夏休みの課題で、例によって自由研究なんてものがあったけれど、オレがもう少し早くロイと出会っていたら、オレの今年のテーマは多分こうだった。『美男子と透視能力の関連性について』。 「俺は短気だぞ」ロイが続ける。短気な奴が、紅茶に四分も時間を費やすかっての。 オレは、霊柩車を前に親指を隠す人種で、且つ、ティーバッグはマグカップの湯の中で振りまくる人種だ。後から聞いた話だけれど、それは苦味ばかりが出てしまって、よくないとされる行為らしい。 話を戻して、オレは顔の前に手を出し、ロイに「待て」のポーズをした。 「ちょ、ちょっと、まあ待て」どこから手をつければよいものか、まだ頭は混乱している。姿を消したマイホームを思い出すだけで、涙がでかけてしまう。 うーん、とオレは手を顎の下へ当てて、沈思黙考しているような素振りだけしてみせて、目顔では自称短気の男を追っていた。自慢ではないけれど、オレの家系だってそれなりに麗容を持つ人種が多かった、オレだって、そんなに悪くはない、とは思っている。しかし、そういう訳でその美形と称されるものに慣れと耐性が備わっているはずのオレの審美眼でも、ロイは出色した麗容を持っていて、そんなオレの雑魚な目をしぱしぱさせた。しかも、ロイはその麗姿を鼻にかけているふうでもない。うーむ、完敗。 性格は、まあ、自分では短気だとか言いふらしているけど、紅茶は四分も待つし、オレを招き入れてこうして厚遇してくれているようなところを見ると、決して悪くはないのだろう。 ここで、オレはひとつ、咽喉に引っかかったような、素朴な疑問を口にした。ロイはと言えば、席を立って、ポットの上に被さっていたティーコジーを取り払った。ティーポットを水平に何度かゆっくり回している、いよいよカップに注ぐらしい。 「なあ、あのさ、ひとつ質問」オレは肩の横で控えめに挙手した。 「なに」 「あのさ、あの、オレをここに居させてくれるって言ってたけど、そういうの、嫌じゃないのか」 「どういう意味だ?」ロイはにべもなく答える。確かに、オレ自身も、何が言いたいんだかよくわからなかった。 「だから、普通、いくら親切心って言ってもさ、ほとんど赤の他人みたいなやつを家に泊まらせるなんて、ちょっと抵抗があったりするんじゃないの。ロイって結構、そういうとこ潔癖そうだし」 あ、語尾はオレの勝手なイメージだから、気を悪くするなよ、と付け加えておく。勝手なイメージだからこそ気を悪くするんじゃないのか、と気付いたのはかなり後だった。 「ここ、下宿屋みたいな感じだったから」紅茶をカップに注ぎながら言う。木苺の甘酸っぱい香りが、部屋中を駆け回る。 「下宿屋?」 「こっちの大学に通うことになった学生とかに、安く部屋を貸してたんだ。ここ田舎だろ、アパートとかもそうそう無いからな、この家部屋数だけはやたらとあるし、そういう所以で」部屋数だけは、という部分がちょっと引っかかる。どこが、部屋数だけ、なんだ。ちらと部屋を見渡しただけでも、巨木の柱も、数多の紅茶も、高価そうな椅子だって何脚もあるぞ。「だから、他人が家に泊まりこむ、っていうのにはこう見えて結構慣れてる。まあ、そういう親の方針に肯定的な訳ではなかったけどな」 オレは、ふうん、と端的な返事をした。それはよろしいな、と思う。こんな馬鹿がつくほどでかい家を、少数人で占拠するよりは、そうして共有していくほうがなんとなくエコノミカルだ。 フランボワーズとか言ったか、紅茶のほうは、見掛け倒しならぬ香り倒しなものではなく、とても美味しかった。 「おいしいな、これ」素直に感想を述べる。一口飲むときに鼻のあたりにふんわりと木苺の芳香が舞い、その余韻のまま、口内に温かな紅茶が広がる。二段の波状攻撃、品の無い言葉で喩えても良いのならそんなかんじだ。 「誰かに教わったのか?淹れ方とか・・・オレには全然、良し悪しすらもわかんないけど」今飲んでいる紅茶がうまい、ってことぐらいは、わかるけれども。 「母親が紅茶通で、毎日飲まされたから、なんとなくな」 なんとなく、か。オレは母親が毎朝作っているスープを作れるか、思い返してみた。 (つ、作れないな、たぶん) だから、親が毎日作っていようが、それが知らぬ間にできるようになっているっていうのはオレにとってはすごいことで、それを“なんとなく”で済まされるのはちょっと癪だった。どうせオレは、満足に毎朝のスープもつくれませんよ。 今度母さんに教えてもらおう、とちょっぴり内省した後、時計をちらりと見た。まもなく、七時半に差しかかろうとしているところだった。電車での往復が相当な時間を食っていたらしい。 と、奇遇にも、ロイもちょうど時間を確認したところだったらしく、ふうと溜息をひとつ吐き出した。「もうこんな時間だし、とりあえず、家なき子のお家を探すのは明日だな」 「・・・もしかして、その家なき子っていうのは、オレ?」 「じゃなきゃ誰がいる?」 「あ、オレですよね」 家なき子か、懐かしいな、たしかそんなドラマがあったな。 「部屋はどこを使ってもらっても構わないし、タオルとか石鹸とかそういう生活必需品の類は勝手に使ってくれ、これ使ってもいいかなんていう質問は回答が面倒だからノーサンキューだ。風呂はあっちの廊下の突き当たり。そんでトイレはその風呂のとなり。腹が減ったなら冷蔵庫の中身をご自由に。はい、何か質問は」 オレはその一瀉千里といったようなロイの弁舌をなんとか聞き取った後、おっかなびっくり手を挙げた。「あのー、明日、オレ学校なんだけど、どうすればいいかな」 「ああ、そういえば、そうだな。俺は休みだけど」 そのロイの何気ない一言に耳を欹てた。俺は、休み?「俺は休み、って、お、お前、いくつ」 もしかして、 「高三、の、十七」 頭の上に巨石を落とされたかのような衝撃がはしった。オレと同じ学年、あまつさえ、年齢はオレより、下! エドは、と尋ねられたので、「高三、の、十、八」と答える。その返答に、ロイは、オレとは多分対極の意味で、えっという顔を呈した。 訳もなく、オウ、神よ、なんて身体の前で十字を切りたくなった。そんな、馬鹿な。確かに口調は若いし、見目も、青年という言葉がしっくりくる風情だ。しかしながら、オレの中では、ロイは十九とか二十とか、言ってみれば二、三歳の違いだがしかし確固たる「オレより年上」という決定事項が存在していたのだ。それを一思いに覆された、破壊された。たったそれだけのことで、めまいがした。きっと心身ともに疲労困憊なのだろう。 「老けてる、おまえ!」大人びてる、を、色々めちゃくちゃに加工してから、老けてるという言葉に変換して、罵った。 「なんだとてめえ、追い出すぞ」ロイが椅子から立ち上がってオレを追い出すべく玄関のほうへ歩いていったので、オレは慌てて制止した。 「ちょ、それは、ごめんなさい!オレ、家なき子なんだから!」 「お前が幼すぎるんだ、その風采で十八?詐欺的だな、ムケてんのかよ」 「なっ、なっ、な、なにおう!」いきなり、し、下ネタなんて、卑怯だぞ!オレは言葉につまった。婉美且つ上品なイメージさえ抱き始めていたロイの印象が、がくっと急降下する。 幸先不安だ。 「って、それはともかく、なんでお前は休みなんだよ。夏休みは今日で終わりだろ」 「俺の学校は単位制だから、必要な単位を取れば自由登校になる」 「あ、オレの学校と一緒だ」だから、夏休み明けにはさっさと単位を取り終えてしまおうと思っていた。取ろうと思えば、一年の間にも取れたんだけど面倒で、三年までずるずるきてしまっていた。 「え?じゃあ、お前セントラル高?」ロイは目を見張った。 このあたりで単位制の高校は、そこしかない。国内随一の難関高だ。オレはあっさりと首肯した。じゃ、つまり、同じ高校の、同じ学年なのか。でも、ロイとは完全に初対面だった。 「何組?」オレは尋ねる。クラスが離れていれば、顔をお互い知らないという可能性は十分にあった。 だけど、そう尋ねながらも、嫌な予感はしていた。 だって、ロイ、かなり頭良さそうだし── 「十組」 だよな。絶対、そうだと思った。一組から、二組、三組とレベルが上がっていくので、十組は必然的に国内の秀才たちが集うクラスとなっている。それが謂れとなって、学内にとどまらず、巷間でも、ゴールドクラスなんていう呼称が使われているらしい。オレ達に言わせて見れば、まず、ゴールドクラスなんていうネーミングセンスが稚拙だけどな。 なんて、そんなこと言っている場合ではない。 「・・・オレも、十組。三年十組」 オレ達は顔を見合わせた。紅茶が冷めてきていた。 「・・・誰だよ、お前?」二人の声が綺麗に重なった。 さっき紅茶を飲んだばかりのはずの咽喉が、急速に渇いていくのを、確かに感じた。 『・・・何度も調べてみましたが、やはり、そのような方は在籍なさっておりません』 受話器の向こうから、困惑しきったような女性の声が耳を打つ。 ロイとクラスが一緒だったのにお互いの顔を知らないとか、そういう糅然とした問題は差し置いて、オレは今家なき子なので当然オレの制服もなく、明日は欠席しますという連絡だけ学校に入れるつもりで電話を掛けてみると、芋蔓式に問題が掘り出されてきた。 オレが微かに震える手で握る受話器から聞こえてくる女声曰く、オレ、つまりエドワード・エルリックという生徒は、セントラル高等学校に在籍していない、らしい。 ふざけんな。 「ちょ、ちょっと待ってくれ、なにかの間違いだろ?」 誰かの陰謀なのかと思った。誰か・・・ものすごく巨大な組織とかそういった奴らが、オレとかオレの家族を完全消失させようとか、そういう画策が企てられているんじゃないかとか、考え始めていた。だけど、仮にそうだとしても、何を理由に? 「が、学年首席なんだけどさ、一応、そういう記録もないわけ?」自慢のような口調になってしまったのも、まったく気がつかないでいた。 レディーにはできるだけ柔和な話し方をしたいと心がけているけれども(それはフェミニストを意識しているのではなく、緊張によって柔和にならざるを得ない、という訳では、断じて、ない)、今ばかりはそうはいかなかった。もう心の中では半泣きだ。なんなんだ。 『お言葉ですが・・・一切、ございません』 めまいがした。だれか、たすけてくれ。 ロイが倒れ掛かってくるおそれのあるオレを支えるべく、後ろに待機している。 『あの・・・』 電話の声が、途端に警戒の色を点した。警戒し、威嚇している。顕著な猜疑心が受話器の穴から洩れ、睨んでいる。誰を?オレを?学年首席のはずの、オレをですか。 「な、なんで──!」声を荒げかけたオレの肩に、ロイの手が置かれた。そちらを振り向くと、ロイはオレが持っていた受話器を黙って取り上げた。 あっ、と文句を言いかけたオレを尻目に、 「そうですか、お騒がせしました。ありがとうございました。失礼します」受話器をがちゃんと置く。 「あ、おい、何すんだ!まだ話は」 終わってない、というオレの語尾を遮って、 「終わってる」やっぱり、こいつは透視能力があるに違いない。「考えるのは、やめだ。今日はよそう。エドも、頭混乱してるだろ」 「ま、まあ・・・」と答える他なかった。頭がパニックしていることは、間違いない。 「そういうときはまともな思慮も持てないときだ。明日、またゆっくり考えよう。俺も今日は、何も言及しない」 ぐ、と言葉を詰まらせて、オレは三十秒ほど黙ってから、 「うん・・・」不承不承首を縦に振った。悔しいが、ロイの言うことはもっともだ。 今日何回目か、もう数え切れないぐらいの溜息を、もう一度ついた。 オレより年下のくせに、いばりやがって、という悪態が吐けるようになったのは、夜もすっかり更けてからのことだった。 *** ミステリー作家ね、うん、なかなか、いいよなあ。 口には出さずにこっそり思った、つもりだったけれど、声が壁に反響してオレの耳に骨伝導よりも早く届いたので、しっかり口に出していたらしかった。 忽焉と消滅したマイホームと大規模なショッピングモール、最愛の家族は逐電か?それとも神隠し?使用不可能な新札、洋菓子屋店長の不可解な増毛計画、謎が謎を呼ぶそれらの裏に隠された真実とは──? みたいな。 バスタブの縁に、不遜な金満家のように腕を置いて、頭は天井へ向け、今日吐き続けてきた溜息とは別種の、安穏とした溜息を長くひとつ。 自分の身に起こった奇妙な現実を、こうして、鷹揚に、呑気に構えて見据えてみるもの悪くはない。全てが元通りになって一段落したら、現状をネタにしてノンフィクションの小説でも出版しようかな、なんて、絶妙の温度に設定された浴槽のお湯ですっかり煮あがってしまったらしい脳味噌でぼやぼや構想を錬った。 「どう思われます、隊長」 ちゃっ、と湯船にぷかりと浮かんでいるアヒル隊長に、無形のマイクを突きつける。このアヒルも、ロイの母親の趣味なのだろうか。 『まあ、所詮三流以下だよネ』アヒル隊長がその快活な笑顔に曇り一点も見せぬまま、言ったような気がした。 「なにをっ!」 オレはアヒル隊長を壁に投げつけた。ゴンと向かいの壁にぶつかり鈍い音がして、隊長は風呂の床に無様に落下した。 「アヒル隊長を投げつけるような気短なやつには、ミステリー作家なんて務まらないと思うけどな」 そういう声が飛来したのは、プラスチック製の扉の奥、脱衣所からだった。 「ぬ、あ・・・!」オレは低く呻いた。 き、聞かれていた。頬が急に熱を持ったのがわかる。 大体、なんで投げたのがアヒル隊長だってわかるんだ、このエセ超能力者が・・・! 「ここに着替え、置いとくからな。あと、タオルは左の棚に入ってる」ロイは脱衣所への来意を告げて、出て行くかと思いきや、 「・・・独り言が多い人間って、孤独らしいよ」 ボソリと、言ったというよりは口から洩れたというような、そういった一言でしっかりオレに追い討ちをかけてから、脱衣所の扉の閉まる音がした。 ええ、家も家族も、携帯電話という友人との連絡を取り持つ時代の利器も失って、そりゃ、孤独最たるものですけれども、何か! 今孤独というものを感じずに、いつ感じればいいというのだ、このエセ超能力者め! 「ば、バカヤロー!勝手に入ってくんな、変態!」 廊下のほうから、扉を何枚も隔ててくぐもったロイの笑い声が、どうにかオレの耳にも届いた。 すこし褪色してくたびれた様相のアヒル隊長は、相変わらず快活な笑顔で床に転がっていた。 夜、というものは、昔からあまり好きではなかった。 否、そう言ったら語弊があるな。夜一人で布団に入っているときの、ぐるぐる錯綜した、詮無き思想とか思慮、ああいうものが嫌いだった。怖かった。 子ども固有の、大人には汲みあぐねる恐怖とか思想とかがあって、それらに夜というオプションがつくと、いてもたってもいられなくなるような怖気に襲われる、そんな記憶が誰だってあるだろうと思う。 子どもはみんな一度は、死ぬのが怖いと考える。小さな頭で、死の恐怖とか苦痛を必死に想像する。だけどオレは違っていた。死ぬのは怖くなかったな、と、ぼんやり幼少の記憶を手繰り寄せる。死ぬという刹那的なことではなくて、その後の、死後の世界が怖かった。というよりは、死後の、永遠というものが、酷く怖かった。輪廻転生をしようが、天国で豪遊しようが、地獄で過酷な労働を強いられようが、どれもオレには同じだった。同じ恐怖だった。輪廻転生が、豪遊が、労働が、どれでも、とにかくそれらに纏わり付く永遠性が恐怖だった。死ぬのは容易い。一瞬のことだ。 永遠に続く輪廻転生、永遠の豪遊、永遠の労働、それがどれも嫌で、明確な終わりが欲しかった。永遠という、なんの慰みにもならない、曖昧模糊な言葉にぞっとしていた。 永遠ってなんだ。 その疑問は、いまでも、オレの心を暗然とした闇で覆おうとする。 こわいな。 またか。 上半身を起こした。息が少々乱れている。 どうにも、こればっかりは昔から駄目だった。死ぬのは容易いなんて、生意気なガキだったなと我ながら呆れるが、その後の永遠性については、十八になった今でも、ごくたまに思い出しては、参る。 こういうときは特に駄目だ。こういう、突然枕が変わって、見知らぬ場所で夜を過ごすことになったときなどは。 「・・・バカか、」己を冷罵した。「ガキくせえな、もう」頭を乱暴に掻く。 蚊取り線香のにおいが、廊下から香ってきた。オレは蚊ではないので、この香りは嫌いじゃない。 枕が変わると眠れないの、なんていう悩みを麗々しく掲げて、デリケートで繊細な境地の持ち主を演じるつもりはないけれど、結構、そういうところは女々しいらしい。そういえば、一人で眠れるようになったのも、オレはすごく遅かったな。かなり大きくなるまでは、弟と一緒の部屋で眠っていた。そうでもしないと、頭の中がぐるぐるして嫌だった。ま、オレのような天才的頭脳の持ち主の悩みのひとつは、己の思想の複雑さや難解さであるからな、ふふん。 言い訳がだいぶん長くなったが、そういう訳で、オレは枕を持って、部屋を出たのだ。 まあ、恥を捨てて正直に話すなら、単純に、慣れない家の慣れない部屋で、慣れないベッドの上、一人で眠るのが怖かっただけだ。 廊下は夏の熱気で蒸し蒸ししていて、今日も熱帯夜かな、と思う。 今年の炎威といったら過去に類を見ないほどである、とか、いつだかニュースが喋りたてていたけれど、こっちの地方は多少涼しいような気がする。しかしその異様なほどの炎威は、やっぱり温暖化か何かの影響なのかしら、などと誰でもわかるようなことを考え、それらのお粗末な考慮を廊下にぞんざいに置き去りにしていきながら、三つ隣のロイの部屋まで歩いた。どうして三つ隣と、微妙に離れているのかというと、ロイがオレに、一番北の部屋が涼しいだろうと勧めてくれたからだった。 そんな懇ろな配慮も反故にして、オレはロイの部屋の扉をノックした。ワン、ツー。返事も待たずに扉を開けた。 ロイは尊大な態度で、ベッドに横たわりながら頬杖をつき、こちらを見遣っている。その横柄な態度のまま、横柄な声を出す。 「・・・パジャマを着た可憐な少女が枕を携えて自分の部屋にやってくるっていうのは、全世界の健全な男児共通の夢だと思うけど、パジャマを着た自分より年上の男が枕を携えて自分の部屋にやってくるっていうのは、全世界の健全な男児共通の、悪夢だよな」 「・・・う、うるさいな」腹立たしいロイの、センテンスの長い台詞を一蹴しようと、オレも負けじと声を出したが、完全に競り負けた。「だいたい、この屋敷がな、でかすぎるんだ。こんなでかい屋敷の一番端っこの部屋なんて、怖いに決まってるだろ」 「とんだ託けだな」ロイは溜息混じりだ。「涼しい部屋が良いって駄々捏ねたのは、誰だっけかな」 オレは脳内の罵詈雑言をひっくり返してみたが、ただいまの劣勢を大逆転させるものは何一つ浮かんでこなかった。くそう・・・。 「・・・ごめん」とりあえず、謝った。左手に抱える枕をきゅっと握った。 「ここ、謝る場面なんだ」嘲笑と素直な笑いが相半ばする笑い声を、ロイがちいさくあげた。「図体だけでかい子どもほど、手の掛かるものはないよな。というよりは、実年齢に精神年齢が伴わない人間、っていうかんじか」 「・・・うるせえ」 唇を尖らせつつ反論とも呼べない抗議を繰り返すオレを無視して、ロイは黙って身体を壁側に移動させた。ごめん、とオレはもう一度意味もわからず謝った。 見知らぬ土地に建つ、見知らぬ馬鹿でかい家の、見知らぬ部屋で、今日が初対面のやたら顔が整った男と、セミダブルといういささか微妙な大きさのベッドで、枕をふたつ並べて眠りながら、怒濤のような一日が、やっと、幕を閉じた。 これまで八月三十一日と言えば、山積した宿題に追われたり、最終日だからと夜通し遊び続けたり、それはもう種々な過ごし方をしてきた日であったが、今日ほどまで珍無類な一日であった例は、むろん記憶にない。 朝がきたら、全部元通りであればいいな──と願って眠りに落ちたオレを、翌朝目覚めさせたのは、残念ながら、やはり、木苺の甘酸っぱい香気だった。 第二話です〜なんかもう なんだこれ、終わんない・・orz ほんともう閲覧用みたいなかんじでよろ し く お願いしま す ・・ ・返品大歓迎ですまじで! っていうか話全然すすんでないような・・orz |