教訓。 ドラえもんを軽んじることなかれ。 じゃ、ジャイアンいい奴だなお前ぇぇ・・・!と詠嘆したのはこれで五回目ぐらい。テレビアニメの方では小憎たらしい悪役に扮するジャイアンは、映画だと何故だか決まっていい奴になる。こんなの卑怯だ、フェイントだ、フェイクだ! 紋切り型なあいさつで申し訳ないですけれども、本日も映画DVDの前で涙の海に溺れておりますこんにちは。 さすがにドラえもんのDVDはロイ宅に無かったので、わざわざ最寄りのレンタルショップまで出向いた。それぐらい、無性にドラえもんを見たくなったのだ。というか、会いたくなった。あの不自然な嗄れ声の、猫型ロボットに(それでも最近声優が変わったとかで賛否両論のようですな、確かに我が国民誰にしもこのしゃがれ声に愛着や幼年期の思い出がたっぷり詰まっていますからな)。 「じゃ、じゃいあん・・・!」今日はあのふくよか太りじしな小悪魔キャラに、骨抜き心酔しているわたくしです。ドラえもんは然ることながら、その猫型ロボットを取り巻くすべての人間達が素晴らしい気格をしている。まったくもってトレビアン!お手上げでさぁ!拍手喝采! 今日日大人も子供も垣根なく魅了するこのメジャーなアニメの存在意義というかその大いなる存在感に改めて圧倒され、オレはひたすらにその存在感の前に平伏し感涙の海を泳ぐ羽目になった。 そして後ろの“ロ椅子”は、スタッフロールも見届けぬうちに寝息を立てている。顔を天井に向けて不恰好に口を開け放しぐーすか寝ているその様を見て、こんな素晴らしい映画の前でそんな無様な風体を晒すとは、なんたる由々しきこと!とオレは胸中で嘆き、開けっ放しのロイの口を笑いながら閉めた。 (ロイ党が見たらさぞ幻滅だ)ドラえもん映画で号泣する自分は棚にあげて(これは不可抗力だとオレは思いますし)ロイを玩弄しながら、ひひ、と肩を揺らしつつ、直後、口を閉めてしまったことを後悔した。写メでも撮っておけばよかったな、ちくしょう!まあ、またチャンスはいくらでもあるさ。ドントマインド。 夏休みの間は、何故だかこんなふうに映画の途中でロイが寝入ってしまうという調子続きで、その上オレがこのロ椅子状態のまま布団を被って眠るので、始終ロイは背中が痛いと文句を垂れている。 そんな感じで風呂さえ朝入るという始末──こんな悪循環を脱却すべく、ロイの頬をペチペチいつも叩くのだけど、いかんせんこの程度の刺激じゃロイの睡魔は退却してくれない。 (お) また口が開いてきた。さあ、思う存分想像してみてください。そして腹を抱えてください。学校で、やれロイ様やれマスタング様やれ白馬の王子様と崇められる超絶美形の口元のバネが、眠りに任せて少しずつ無防備に緩んでいくその様子を。オレなどはもう窒息寸前です。 (は、腹いてえ・・・!ギブ!ギブ・・・!しゃ、写メ・・・!) 号泣したり抱腹絶倒したり、この時間帯は大忙しだ。震える手で携帯を握り、開き、“カメラ”を起動する。 だ、だめだ、手が震えて撮れない・・・!ブレる、ブレる! 二百パーセントフォトグラファーに不適、と思わせるような完成度皆無のアホ面写真をどうにか携帯におさめ、さて、このアホ面をどうやって起こしてやろうか、と思案する。 『これぞ正に寝耳に水』、という以前のロイの台詞を思い出し、にやり、という悪質な笑みを口元にボンドでかたーく貼り付けた。これは暫く剥がれそうにない。にやにや。 (ねくちにみず!)天誅だ、天誅!オレ様の耳に水など注ぎ込んだ自分をさぞ内省し猛省の念の波に打ちひしがれるがよろしい! はっはっは、と今にもオレは高笑いをしそうな風情である。 (寝口にお湯、はさすがにアレか)そんな細やかなところまで慮るオレってばなんて親切なんでしょう。あいぼうおもい! ジャイアンの次くらいにいい奴だな、と自己陶酔の呟きを漏らしながらコップに水道水を汲んできて、ロイの前に正座し、それはもう息を殺した笑いなど絶え間なく漏らし続けながらもどうにか、コップの淵の焦点をロイの口角へと定めた。 「ひひひ・・・」大きな釜の中で怪奇な液状のものを煮る魔女のような、細くて卑しい笑い声。たのしくてしょうがないんですもの。 スリー、ツー、ワン、 --第十便-- ごぽぅえげほっごほごほごはっ! 上記の一文に十分強は頭を抱えましたが、ロイの声を忠実に再現してみました。 オレ様のお陰ですっかり覚醒したらしいロイは、自分の吐き出した水でしとどに濡れたエイプのTシャツを暫し睥睨のような視線で凝視した後、言わずもがな床に転げて爆笑するオレにその冷然とした視線を向け、 「エド、てめえ・・・!」ぐい、と口の周りを腕で拭って負のオーラを放出する。 いや、あれは誰だって何かしらを注ぎたくなりますよ!鉛筆削り機に当然鉛筆を差し込むように、あの全開の口には何かを入れたくなりますから! とう!と言わんばかりに、床に転げるオレの哄笑に油を注ぐがごとく、ロイは上から、秘儀、こちょこちょを仕掛けてきた。 どうやらオレを笑い死にさせるおつもりらしい。 「ひー!やめ、やめろって!ひひ、し、しぬ・・・!」 「死ね死ね!」 オレの息が絶え絶えになり、そろそろ顕界から幽界へと大きな羽を広げて飛び立とうとするころ、ご無体なこちょこちょの猛攻が止む。ぜえぜえ言いながら、ぐったりと重力に服従して、床に後頭部をごつんと付けた。「も、もうしまひぇん・・・」 起こして、と請いながら力の入らない空気の抜けた風船のような手をどうにか伸ばして、ロイの首根に巻きつけた。笑うのはこんなにも体力を衰耗させる。 「起こして・・・力入んな」「どっかーん!!どうも今晩はお二人さん!真夏の夜のビックリショータ・・・!」 な、なんだ?と思われた方、混乱させてしまって申し訳ない。でもオレのせいではないので悪しからず。 オレの言葉を遮断する声を甲走らせながら突如闖入してきたのは、イカれた道化師、を髣髴とさせる、ブロッシュだった。夜も更けたこんな時刻に、近所迷惑甚だしい大声をぶちまけながらドアを破って入ってきた。 語尾につく筈であっただろう“イム”は、彼の勝手次第な驚駭が封じてしまったらしい。 「し、し、しつ、しつれいしましたあッ!お取り込み中のところ!」目を裂けるほどに見開いて、まさしく嵐のごとく去りぬ、と形容したくなるイカれた道化師は扉を開けたそのままのテンションで扉を閉めた。 このうだるようなクソ暑い夏には、ブロッシュのバイタリティーがものすごく羨ましい、が、 「ちょ、ちょっと待てこらブロッシュてめえー!!」それどころではない。 勘違いしたまま帰ってくれるな! 知らずロイの首根から腕を離したので、また頭をごつりと床に打った。 慌ててイカレ道化師の携帯に電話を鳴らす。プルル、 「はいもしもしこちらデニーブロッシュです!あのあのあの先程はまことに申し訳・・・!夏の暑さも吹き飛ばすお二人のアツーイ痴情も汲まずにといいますかそのあのごにょごにょ!」とんでもなくはやく出たと思ったら立て板に水といったふうにとんでもなく早口で捲くし立てる。忙しないやつだ。 「いいから落ち着けおい!何勘違いしてんだこの早合点ヤロー!」 オレが怒声を小さな機械に向かって撒き散らすと、「か、カンチガイ?」という、『エ?そんなのアリ?』とでも言いたげなブロッシュの声音が機械を通して耳朶に触れる。 「ったりめーだ馬鹿たれ!で、なんだったんだよ、用件は」 闖入の要因を急くと、「は、はなび・・・」ハエの呼吸の音より小さな声で呟かれたその言葉は、申し訳なさがこれでもかと滲み出ている。要らん罪悪感に苛まれているらしい。 「はなびを、みんなで、やろうかなぁって、なつの、おもいでに」なんだコイツは。何をシャイぶってやがる。ロマンチスト演じるのも大概にしとけ。 しかしながら、その謙虚な意見には大賛成だった。 「おお!よし!持って来い!でかしたぞブロッシュ!」 「ありがとう・・・ございますえどわーどさん!ぼくうれしいです!」だから誰だテメーは。 ブロッシュが導火線にローソクで着火し(無駄な)乙女走りでこちらへと駆け寄ってきたのを合図に、ドン、と小気味良い音を立てながら満天の星空に咲いた花火が三人の顔を明るく照らす。 「う、わー!市販のやつでも高いやつは豪華だな!」感嘆するオレに、「だってこれ一個で千五百円だぜ!」とブロッシュが鼻高々におつかいの報告をした。 「千五百・・・一日の食費以上だっつの!たったの一瞬で・・・もったいない・・・」所帯持ちの上手いロイはやたらと老成したことを嘆くので、オレとブロッシュが声をあげて笑った。オレに言わせて貰えばノーブル家系の人種のくせに、って感じだが、以前大言壮語していた“親の脛は極力齧りたくない”という言葉に嘘偽りは一切ないらしかった。うーむ、堅実というか直実というか・・・まぁ悪い性癖ではないだろうな、少なくとも。オレなんかがロイの立場だったら親の脛だろうが肘だろうが齧れるところはとことん齧って骨だけになるまで平らげそうだというのに。 (・・・や、さすがにそこまで外道ではないはず・・・だ)自分で貶めたことを自分で慰めて、 「ねずみ花火やろうぜー!ねずみ花火!」話を切り替えた。 ごそごそと花火の袋を漁って(このビニール製の花火袋、必ず使いまわしてプールに水着入れて持っていく奴いませんでした?)お目当てのねずみ花火を発掘し、早速火をつける。 「おら!」言いながらロイの足元へとひょいっと投げた。暴君ねずみ花火がロイの足元あたりを猛襲する。 「ぎゃ!っにすんだテメ!」慌てるロイを尻目に、二投目をブロッシュが。「お、おいコラてめえら!」 げらげら下品に夜空の下で笑うオレ達に、近くにあったホースでねずみ花火を鎮火したのち、水噴射で反撃に出るロイ。「くらえ冷水!」 蒸し暑い夜とはいえ、やはり冷水を掛けられたら冷たいというものだ。 「ひゃー冷てえ!大人気ない!大人気ないわロイ氏よ!」相手を批判するオレの口元は緩んでいる。それはまたブロッシュも然り、「そうよそうよ!」。 「線香花火でもやるか、線香花火」 ホース攻撃に飽きたらしい(なんだかこいつはほんとに飽きっぽい)ロイは線香花火を引っ張り出してきて、五本束ねて火をつけた。 オレが五本一気に使いやがったロイに言う。「それ贅沢すぎ!」 しゃがんで溶岩のようなものがどんどん膨大していく様子をぼうっと見つめるロイを指差して、「見ろあれ、なんか、笑える・・・!」ブロッシュに含み笑いで囁いた。 「リストラされたリーマンよろしくの憂え顔だよな」というブロッシュのレスポンスに噴出した。「言いえて妙!」 「なんだよおいコラ、こそこそしやがって、気分わりいぞ」ぎろりと睨みをきかせてこちらを見上げたロイに、 「いやいや、よくお似合いですねえ、とね」と宥めにもならない言葉を吐き出す。と、脇から「かっこいいわロイさん!シブーイ!」というブロッシュの嘖々とした半ば揶揄のような褒め言葉らしいものが飛来した。 ブロッシュもロイに倣って線香花火鑑賞を始めたところで、ジュース買ってくる、とその場を立った。 「オレ、コーラ!」「オレンジの果汁100%じゃないやつ」左から、ブロッシュ、ロイの注文を背中に受けながら(果汁100%じゃないやつ、という注文の気持ちはすごくよくわかる、100%って喉がイガイガすんだよな、たまに)。 先刻ロイに水などを掛けられてしまったせいで、右腕あたりが夜気に感化されて凛と冷えた。この程度なら、炎暑の夏には差し入れになるけれど。 去年の夏休み、を、思い出す。思い出してみる。 (はなび・・・)は、しなかっただろうなぁ。 夏祭りにも行かなかったし、海、とか、プールとか、なにひとつ満喫しなかったような。 “夏”というものの十分の一も、オレは楽しめていなかったのかもしれない。 何してたかな、と必死に記憶を手繰り寄せるけれども、手繰った糸の先には心躍るようなものは釣り下がっていなかった。つまんなかっただろうなぁ。 (いいけど、ね) なーんか情けないけど。いいんだ。“今”を思い出せば、そんなの然してもない些事だ。今年の夏は、夏の醍醐味を全て網羅しようと思います。 「明日は夏祭り、かな」 みんなで行こう。 きっと楽しい。 ひゅう、とオレの火照った頬を風が撫でていく。そして、それは決して快いものでは無かった。どこか薄ら寒いような──お化け屋敷に感じる、あの寒気のようなものに似通っている。 嫌な感じがしたので、ポケットにぞんざいに収まっていた小銭をよく確認もせずに入れまくり、コーラとミニッツメイドを買い、(あ、こりゃ100%だ)と思考を巡らせた所で腰に毛深い腕が回った。 肩を聳やかし、一度手に持ったコーラを落としてしまった。ああ、このコーラはもう飲めないな、なんて言っている場合ではない。 久方、の、この、卑しい、下賤な腕。 「ん、ぅっ・・・!」慣れた敏捷な手際で、ガムテープで口を塞がれた。随分ロイたちと離れた場所まで来てしまった、だから早く戻りたかったのに。 混乱、混乱、オレはきわめて混乱していた。 中学の頃はこんなのお茶の子さいさいだったのに、今は何をどうしたら良いのかさっぱり忘れてしまった。この不甲斐ない痩躯を容易く塀の裏側へと連れて行かれながら、オレはただ、自販機の中に置き去りにしてきたミニッツメイドを懸念していた。 ごめん、ロイ。 ミニッツメイド届けられそうにない── でも、間違って100%にしちゃったから、いらないだろ、勘弁してくれ、よな。 ゴクリ。そんな音がはっきりと耳朶に触れた。男が穢れた唾を嚥下する音だ。 「ん、んんー!」はなしやがれ!と懸命にガムテープの奥で叫んでみたけれど、それは逆に、男の、 「騒ぐな、騒いだらころす」という非現実的で酸鼻な言葉を引き出しただけだった。 中学とは訳が違う。 混乱した理由がわかった。 相手が違う。相手の目が違う。あれは、あれは蛮行に走る程度の中学生が持つ目などではない。立派な、犯罪者の目だ。 だから身が竦むんだ。だから涙が滲む。 勢いをつけて後ろの塀に貼り付けられて、頭を強くコンクリの壁に打った。頭蓋骨の辺りがわんわん言う。警鐘だ、これは、あきらかな警笛。気付けば手首にも、ガムテープの拘束。警笛が一層大きくなる。頭が痛い──それは断じて今打った外傷のせいではなく、内側から湧いてくる痛み。 暗くて男の顔もよく見えない、荒い呼吸だけが耳をうつ、肌が感じる。嫌悪と憎悪の波がオレを溺れさせようとして、今にも吐きそうだ。 右腕に水のかかったTシャツが臆面もなく捲られ、露になった腹部に男の顔が埋まる。 「──・・・っ!」 もう頭が、真っ白、ではなかった、敢えて言うなら真っ黒、だ。色々考えすぎて、それらが混ざって、ダークな色へと変貌した、そんなかんじ。絵の具を混ぜると色が変わる、ということを学んだ園児が、全ての色を混ぜたらどうなるだろうと期待と好奇心を筆に乗せて試してみると、汚い黒々とした、予想をはるかに裏切る色になってしまうという感覚と似ている。見たこともないような美しい七色になると思ったのに、実のところはそうではないのだ。 この下卑た男に食らわしてやりたいこととか浴びせてやりたい罵詈雑言とか、誰か助けに来いよ馬鹿野郎とかまだあいつらは線香花火で遊んでんのかとか、中学時代颯颯と男共を伸してきた自分への羨望とか妬み、そして何より、この埋まった顔がオレの肌を舐めとっているというこの事実への嫌悪、それらが一緒くたに綯い交ぜなって頭が真っ黒になっている。 混ぜた絵の具が、七色になればよかった。 (気持ち悪い・・・ッ!) 背筋が、快感などとは遠く遠く掛け離れたまったく違う意味で、ぞくりと粟立った。 死ね、と念仏のように男の頭へ唱える。 (頼むから、誰か、) 腹部をまさぐっていたその太くて毛深い指が、オレのジーンズの中へと滑り込んできたときには、本当に喉の奥で金属音のような叫びをあげた。それが外言語化されることは終ぞなかったけれど。 「ん・・・ぐ・・・!」空手八段の功績が形無しだ。 涙も流れない。どうにかしてこの悲境から脱しようと、それを考えるのに一杯一杯で、涙を流すという方向へ思考がまわらないのだと思われる。 その野卑な手が、下着の中の、オレの中心を捕らえて── 途端、うぎゃあ!と奇怪に呻いた男が、尻を押さえて飛び上がった。なんでお前が叫ぶんだ!叫びたいのはこっちだ──! 「正義のヒーローさんじょー」 こんなときまでどこまでもダルそうに言いながら、ロイの右手が持っていたのは、しゅーしゅー鳴きながら光と炎を撒き散らし燃え上がる手持ち花火。どうやらそれで男のケツを焼いたらしい。 「聖学の姫君を汚す輩は誰だオイ?」ブロッシュが男の顔を覗き込みながら、言う。そうして男の所持品であるガムテープを拾い上げてあっという間に、そんなに巻かなくても、と止めたくなるほど至るところを拘束した。「オレだって汚したいところを我慢してんだぞ!」 その台詞にオレが「オイ!」と突っ込もうと思ったけれど、口が塞がっていたので“ん”の音しか出せなかった。 「どうせこんな事だろうと思った」 呆れたような声音で、ロイがオレの口と手首に付けられたガムテープを丹念に剥がしていく。 「お、遅えんだよ、まったく・・・!」その呆れ声が悔しかったので、軽口を叩いてしまった。ここはいくら捻くれたオレでも、礼を言う場面なんだ、っていうことはわかったけれども。 「こんなのお手の物じゃなかったのか?空手八段サン」剥がしたテープを丸めながら、ちょっと優越そうな憎たらしい目線で問いかけてきたロイに、 「ほ、本調子じゃなかったんだよ!ブランクがあったから!」と吼えた。 「あ、そう」ぽーい、と向こうの茂みにテープを投げ捨てた。 「ぽ、ポイ捨て!サイテー!」オレが重箱の隅をつつくかのように非難すると、「じゃあ諸悪の根源であるお前が拾ってきて」と返されたので口をつぐんだ。しょ、諸悪の根源はオレじゃなくてこの男だろ・・・!あんぽんたん! 「大丈夫?」おろおろと声をかけてきたブロッシュの顔は憂色に満ちている。ああ、これぞ正に友情ってもんじゃねえのか、そこのいけずなノッポ! パニくってどうしようもなかったくせに、今となってはさも安泰であったかのように告げた。「だいじょーぶだいじょーぶ」 「帰ろうぜ、っつーかエド、これ100%じゃねえか。喉イガイガすんだろー。お前はおつかいのひとつもロクにできねえのか」ミニッツメイドを拾ってきたらしい(オレが危機に瀕しているときに!なんてやつだ!)。 「うるせえよ!お前に飲ませるオレンジが実る木なんて世界に一本たりとも生えてねえんだ!寄越せそれはオレのだ!」 オレがミニッツメイドを強奪しようとロイに飛び掛ると、ゴン、とオレが取る前に、ロイによって頭にミニッツメイドが置かれた。手を置く代わりに、ミニッツメイドを置いたような感じだった。 いて、と顔をあげたら、 「無事で良かったな」儀礼的にロイが言った。 その言葉にも、「ったりめーだ!」という天邪鬼な言葉しか返せなかった。 あのガムテープぐるぐる巻きの男を放置してきてしまった、というのは、次の朝あたりに気がついたのでした(警察に突き出されるより悲しかったのではないだろうか)。 異様な量のボディソープをボディタオルに垂らす。 それをよく泡立てもせずに、まず嫌な感覚が残る腹部をがしがしと洗う。消えないような気がした。一生消えない感覚なのではないかと思った。 もちろん、舌を這わせられるところまで至ったのは初めてだった。思い出すと、まだ、腕が微かに震える。 もし、本当に、ロイたちが気付いてくれていなかったら、どうなっていただろう。 (考えたくもない) 雑念と、最悪の、大いに起こり得た過去予想図を薙ぎ払うかのように、腹部を洗うことに専念した。かぶれてしまいそうなほど擦りあげて、嘆息をひとつ。 やっぱり、 (ちゃんと、お礼、しなきゃな)珍しく殊勝に、そう決めた。 頭からシャワーをかぶって、夏の暑さのために湯が張られていない浴槽を無視して、風呂からあがった。 蝉が途絶えることなく鳴いている。蝉の鳴き声と言っても、なんだか多種だ。ミーンミーンとか、ミミミミミとか、ジージージーとか、色々。呑気な奴らだ、と言いたくなったけれどその前に、 (・・・人間なんかよりも、よほど個性があるのかもな) なんて嗜虐的なことも、ぼんやり思った。 少なくとも、人間なんかよりも至極友好的だ。 強姦なんて文字はたぶん、彼らの間にはないのだろう(飽く迄、推測の余地を出ないが)。 パジャマを着込んで、お定まりのドライヤーを抱えて、例によって例の如しロイに駆け寄った。そして、へらり、と笑う。懇請の言葉も要らない。 ロイがその淡いブルーのドライヤーを受け取るやいなや、これまたステレオタイプに、ロイのお腹あたりに飛び込もうと思ったけれど、今日は一旦制止した。 ちょん、といったかんじでロイの前に肩身狭く正座をする。 ロイはドライヤーをコンセントに繋いだあたりで、そのいつもと違ったアクションを起こしているオレに気付いたらしかった。 「・・・なに、そんなに改まって・・・気色わりぃな」 うるせえ!と、ベロの付け根までせり上がってきた言葉を苦しく呑み込んだ。 「ほ、本日は、っていうか、せ、先刻は、まことに、あ、ありが」 「あーいいからいいから、ぞっとするから」ドライヤーの風を、オレの顔面にかけてきた。思わずその強風に言葉を詰まらせる。 このやろう。 人がせっかく神妙になってだな! 「・・・ございました!なんだよもう!人がせっかく・・・!」全然、腑に落ちん。 「まあまあ、貞操も守って無事であったということで万事休す、一件落着。あとからまた蒸し返すようなことすんな、怖かったんだろ。恐怖とか憎悪の記憶は脳の地下室に眠らせておくのが吉なんだよ」 ロイはなんだか、いつも正しい事を言う。一般論としてそれが正論かどうかは別として、ともかくオレにとっては、「た、確かに」と否が応でも頷いてしまうようなことをさらりと言ってのける。 まるで参謀のようなその助言を鵜呑みにするのは訳もなしに悔しかったけれど、確かにあんな記憶掘り返すなんて言語道断なので、素直に追従することにした。 「・・・ばか。お前なんて嫌いだ、ほんと嫌な奴」 苦肉の策にそう負け惜しんだオレに、はは、と一笑したロイが、 「ここへ来ないのか?」とまだ口の端にその笑いの残余をちらつかせながら、自分の腹部を指差した。「そうしてもらったほうが俺的には乾かしやすいんだけど」 むぅ、と唇を尖らせつつも、 「・・・・・言われなくともだッ!」 唐突に恋しくなったロイの指差すところへ、嫌味のタックル混じりで、飛び込んだ。 「はやくかわかせー!」 「うるせえな、今やってんだろ」 ロイの手ぐしを頭部に感受すると、どんなに今の今まで目がギンギンに冴えていようが一気に眠気が襲ってくる。これは本当に不思議な感覚だ。 頭を撫でるようなその手に魔法をかけられると、オレの迷路のように曲がりくねった気持ちも真っ直ぐになる、気がする。真っ直ぐの迷路はすぐにゴールに辿り着くことができる、それと一緒で、迷って心のなかでまごついていた伝えたいことがすぐに出てきてくれる。 いつものように、そんなふうな催眠術をかけられた。オレはその摩訶な術にすぐに屈する。 「・・・ありがと」 お腹に埋もれながら言ったので、かなりくぐもった音になってしまったが、どうにかロイの耳に届いたようだった。助かった、とか、結構ヒーローに見えたよ、とか、言いたい事はまだたくさん山積していたけれど、あまりにありすぎたために、真っ直ぐの迷路で渋滞してしまったらしかった。いつまで経っても出てこない。 でも、涙だけは、ちょっぴり出てきた。ほんのちょっぴり、な。 ロイは黙って髪を乾かして、何も言ってくれなかった。 ただ最後に、オレの頭を二回、ぽんぽんと叩いた。 オレもそんなふうに、無音で意思を伝えられる力が欲しいな、と、思った。 「ミニッツメイド、美味しかったよ」ロイが呟く。 「・・・・・100%なのに?」 「うん」 髪は乾かし終わっているのに、オレはまだそこから動こうとはしなかった。ロイもそれを黙認してくれる。 「美味しかった」ロイは、もう一度オレの後頭部に手を乗せて、 「ありがとう」 と言った。 なんだか、この世の全ての悪事が許された気がした。 ロイはジャイアンよりいい奴だ。 そう思うか思わないかのところで、オレはそのまま眠ってしまった。 |