(最後の、一日)
(さいごのひ)
(さよなら)
(わすれようか)
(おぼえていようか)
(選択肢はふたつあるようにみえてじつはひとつだった)
(そう、ひとつ、ひとつ、それだけ)
(おれにはわかっていたそれがひとつであることもわかっていた)
(わかっていたから、)
(ないたんだ)(くるしかったんだ)(いきができなかった)
(さよなら)
(おれにはわからないよ)
(おれは、)

(ねえ、)

ねえ。

(さいしょでさいごのおれのあいぼう)


★三毛猫ヤマト★
--第十一便--
(第一部最終便)
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夏休みが終わる。否、終わった、というべきか。宿題のテキストはむろん、全部白紙だ。トーゼン。
瞼を開けようとする。でも開ける前に、少し迷って、暫しの逡巡があった。
(ああ、瞼を開けたら──)
夏休みが・・・!終わって、しま、う。泣きそうだ。わーん。
確かに、夏休みの後半はぎっちり講習が入っていた。そして講習後の、申し訳程度の残り3日の夏休みは、これ以上無理!ってぐらいぐーたら過ごした。ぐうたらって素晴らしい。だって“ぐうたら”ってその言葉の響きさえ甘美ですもの。ぐうたらぐうたら!今欲しいものは?って神様に聞かれたら、オレは即答でそして誇らしげに“ぐうたらです。”と言うだろう。
はぁ・・・。さよなら、夏休み・・・。
観念して、開いたら既に夏休みではない空間を映し出すだろう眼球を覆う瞼を、よっこらせ、と持ち上げた。この開閉する薄い皮膚が、ダンベル10個分より重いと感じる一瞬だ。
網膜が案の定、もう夏休みでない空間を、世界を、映し出した。とりあえずロイの家の、シアンのベッドシーツが目に飛び込んできたが、いつもとなりに寝ているはずの(今日は始業式ということで、昨日ばかりは“ロ椅子”状態での就寝を回避した。オレが決死の努力でロイを起こしたのだ)当の本人ロイ氏が居ない。
やや、どちらへ行かれた?
只今6時半。オウ、随分と早く目覚めてしまったらしい。夏休み終了の途端にこれか、と自分の現金な身体にがっくりする。始業式に大寝坊するぐらいの根性見せやがれ、くそう!
6時半という早朝にも拘らず、ロイはもう起き出しているみたいだ。その異様な雰囲気さえする早起きロイを、目玉を部屋中に泳がせて探す。どこだ、ドコダ?(気分はターミネーターだ。あのターミネーターの視界にうつる、緑のデータ解析みたいな画面が超シビれるのですよ!)
そのオレの拙陋なデータ解析画面の隅っこに、ロイの背中が捕らえられた。発見、ハッケン、タダチニ、ホカク、セヨ。なんちって。
直ちに捕獲いたします!と張り切って、ハツラツに起き出した。上半身を起こす際にも、ウィーン、とかいったような効果音が脳内で流される(勉強はできるけどエドは馬鹿だ、っていうのはロイに百回は言われたので、たとえアナタがそう思っても心の中に秘めておいてください)。
「ロイー、何やってんの?こんな朝っぱらから」
部屋の隅にある勉強用のテーブル(であるらしいが、実際そこでロイが勉強しているのを見たのは今日が初めてだった)に背を向けて座っているロイの、後方1メートルあたりでその前かがみ気味になっている背中に、のそのそと近づきながら声をたたきつけた。
そのオレの臆面もない声を聞いて、肩を少し聳やかしたロイは、後ろから見てもあからさまなほどに慌てて、机の上のものをバサバサと隠そうとした。その様子を受けて一瞬オレは眉間に皺を寄せたが、直後、それに代わって口端を吊り上げるような悪質な笑みをたたえた。
「なーにーちょっとちょっと!あわてて隠したりして!やらしー本でも見てたのかしら!朝からお盛んですな!どれどれ」
オレが1オクターブほど高い高揚した声でからかいの言葉を言っている間に、ロイは最終手段とでも言うべき、机の上に突っ伏して身体で机の上に広がっているだろうと思われるあのテの本を隠そうとした。
別に隠さなくてもいいのにぃー、とにやついた声音を発するオレの目が、ロイの突っ伏した身体の脇から覗いていた本の表紙に記されている漢字を捕らえた──そう、漢字だ。
『六法』、
「・・・全書?」オレがロイに隠れて見えない部分の文字を補足した。たぶん、大当たり。
ロイの肩が、大きく溜息をついたのが見て取れた。「最悪・・・」
諦念に駆られたのだろう、ロイは大儀そうに身体を起こす。そこにはやはり、『六法全書』と表紙に大書された、まな板にでもできそうなほど分厚い本と、“法律“や“勉強”、“司法試験”などの文字が踊る参考書が他に数冊あった。ロイはといえば、きっと猥本を発見されるよりも、あるいは法律に即して例えをあげるなら猥褻物陳列罪で裁かれる被疑者よりも、バツの悪そうな顔を呈して、呟くように言った。
「・・・弁護士に、なりたいんだよ」
オレを目を合わせようとせずにぼそっとそう吐き出して、少しの間の後、付け足した。「わりぃか」
「だ、誰も悪いなんて言ってねえだろ!」なんだかその殊勝で神妙で、且つ笑いも誘う様相を驚きに満てるまなこで見つめながら、これまたオレも慌てて否定した。「被害モーソーっつーんだぞ、そういうの」
「やかましい」
「・・・もしかしてさ、夏休みに、いつも映画見終わんないうちに寝てたのって」
「そうだよ、そうですよ」
「早起きして勉強してたからなの!」
「だからそうだって言ってんだろ!」なんで今日に限ってお前は早く起きるんだ、いつも俺が起こすまで爆睡してるくせに、とかぶつぶつ悪態をつきながら、机に広げられた六法全書と法律を勉強するためのテキストのようなものを黙々と閉じてしまいはじめた。
「・・・おまえ、ちょっと、すごいな」
オレがなんとはなしに賞賛した。その、我知らず漏洩した、というふうなオレの言葉を聞いて、ロイは「・・・何が?」と不思議そうな顔を包み隠さず露呈する。
「しょうらい、とか、ちゃんと、考えてんだな、ロイのくせに」
「くせにとはなんだくせにとは」とりあえずそこへ突っ込んでおいてから、「別に考えてるとか大仰なもんじゃない。ただ、小さい頃からだな、なりたいと、って何言わすんだ貴様は」
その言葉に、オレは笑う気になれなかった。「オレは、どうすればいいかな」
胸に巣食う少しの、焦りのような、焦燥。
「エドはなんにでもなれるだろうから心配要らねーよ」
「そんなの買い被りだ」
「大丈夫だって、なんならお前も弁護士になるか?」
「そうしようかな」
「まじかよ、いいけどさ」
と、ロイは次に困ったような、苦笑のような表情を見せて、「・・・そんな泣きそうな顔すんなよ」と、オレの頬をさわった。
え、オレ今泣きそうな顔してんの?
「だ、」
いやいや、そんなはずは。
「だ、誰がだ!エドワード・エルリック様は選択肢と可能性が多すぎて困窮してるんだよ!オレってば天才だからね!キミタチ凡人が抱える悩みとは格が違うのだよ!はっは!」
ロイの手から逃れるように、後ろを向いて学校の支度を始めようとする。
「あ、そ」ロイも殊更深追いせずに、あくびをひとつし、凝った意匠のパイプ椅子から立ちあがった。「俺は凡人でいいです」

「髪を結んでくれろ!あとネクタイも!」
「その“ろ”口調久方だな」
ワイシャツと制服のズボンを着込みベルトを巻いた時点で、朝の支度の中でもうオレにできることはない。できること、というよりも、することがない(というのは、ネクタイはともかく髪は結えるのに、自分で結おうとしないからだ)。
お前ボタン掛け違えてんだけど、とロイが目敏くオレのワイシャツの異常に気がついた。「え、嘘?」と疑義をただすように自分の胸部から腹部にかけて視線を流してみると、なるほど、一番下にボタンホールがひとつ余っている。
「エドは日毎に自分でできることが少なくなってやしないか」
「そ、そんなはずは」
ロイは軽く呆れの味がついた溜息を吐き出して、そのオレによって掛け違えられた酔狂にも見えるボタンたちを外していき、上から二つは外したままで(これ本当は怒られるんだけど)、また順番にしめていった。
「はい次ネクタイ!」
オペ中の医者が看護婦に、「メス!」と言って手を差し出すようなかんじで、オレにネクタイを要求した。オレもまたその「メス!」を予見していたかのように、ちゃっ、と敏速に渡す。「はい先生!」
そして手馴れたふうに瞬く間にネクタイを結び終え(ものすごく目にも留まらぬ速さで結んで見せるということは、もうオレに覚えさせる気がないらしい)、テーブルの上に乗っていたいくつかのゴムの中から、ピンクのハート付きのゴム(エド様党かどっかからの、下駄箱への差し入れ)を選別してロイが手に取る。
「なんでハートのやつなんだよ!」オレが嘆かわしい!と唇をひるがえすと、
「せっかくいただいたんだから一回ぐらいは使ってやれ」と有無を言わせずオレの髪をその煌びやかなゴムで束ねてしまった。
「似合うから大丈夫」そう言う声には含み笑いが乗っていて、非常に腹立たしい。「そういう問題じゃねえんだー!ばかー!」
「そうやって女性からの好意を無下にするからお前はモテないんだよ」
フフン、と憎たらしく鼻を鳴らすロイに言い返す言葉は見当たらず、
「・・・・・このタラシ!しんでしまえ!」
と筋の通っていないことを喚き散らすと、やっぱりロイが笑った。
お前のような“オトコマエ”に属する奴らには、オレの苦悩など到底わかるまい・・・!ハート型の飾りが付いたピンクのゴムなんて、屈辱以外の何物でもないんだよ!
「ママン助けて!女タラシがオレをいじめるよ!」
迫真的に泣きまねをして手で顔を覆うと、ロイの哄笑に拍車がかかる。
ハートのゴムなんてさぁ・・・。
悲嘆。


***


宿題は全てロイの家に置いてきた。だって持っていったって提出できませんからネ!かさばるだ、け、よ!
「ひー九月だってのにあちィなちくしょー!」
太陽に指をさして喧嘩腰で訴える。「おまえ!有給取れ有給をー!」
疾走する自転車の上で顔に感じる風も、どこかじめっとしていて、“涼”とか“爽”という漢字がイマイチ似合わない。夏には死ぬほど恋しくなる、幻惑とも言えるような漢字たちだ。
「漕いでる俺はもっとあちーんだ!たまにはエドも漕ぎやがれ・・・!」
「やだわ奥さんご冗談を」
こんなピンクのゴムを付けているような非力なオレ様に肉体労働など!オレは知性派なんですよ。「ピンクのゴムじゃなかったら、考えてやっていたかもしらんがね」ははは、とオレがまるで大手会社の、富裕層ではあるが頭はチープな社長然の声で笑った。
「ほざけ」もしもピンクのゴムじゃなかったとしても、そんな気微塵もないくせに、という言葉を“ほざけ”の一言に凝縮した。
もちろん、その通り!

雀がチュンチュン、と澄み渡った空へと、今日という日が来たことが心底嬉しいといったふうに、優雅に歌っていた。



早起きは三文の得、とまではいかないがとりあえず遅刻を免れることは綽綽余裕だったので、ゆったりと電車に乗ってゆったりと登校した。
正門から二人並んで校内へ入っていくと、周りを歩く生徒たちの目が一身ならぬ二身に注がれる。男女問わず東西南北からの、好奇が横溢した夥しい数の注視だ。
まぁそんな視線にもすっかり慣れ──というよりも、気にしていたら生活できない──特に喜びも浮かれも恥じらいもせずに(それでも、ハートのゴムはちょっと恥ずかしかった)、暑い暑いと文句ばかり校庭へ垂らしていきながら淡々と校舎へ向かって歩を進める。
と、唐突に右手から一人の女子が疾駆してきて、オレの身体にがばりと勢いをつけて抱きついてきた。
「どわっ!」おそらくエド様党であろうその女子の、ヤバ度MAXの行動にオレが驚いてよろめくと、別の女子が二人ほど血眼で走ってきてオレの身体に執拗にしがみつく女子を二人がかりでひっぺはがし、こんな事を朗々と言い放った。
「エド様に触れていいのは!」
「ロイ様だけなのよ!」
どうやら気の合うコンビらしい。そのコンビの胸には、“ロイ様エド様親衛隊”なる札がついていた。し、しんえいたい?
そんな集団は初耳だな──って!
「な、なんじゃそりゃあ!」思わずオレが、そのコンビがふたつに分けて言った、どうやら言いなれているところを見るとかなりの常套句らしい台詞に対して、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「いつからそんな事に・・・」となりに立つロイも、腑に落ちないかんじでオレの突っ込みに同調した。
ずるずると“ロイ様エド様親衛隊”に引き摺られていく女子を、呆然と見つめてしまう。その連行されていく女子は、今後どのような冷遇を親衛隊に受けるのかさっぱり見当がつかなかったけれど、恍惚とした夢のなかにいるような瞳を爛々とさせ、「マジヤバーイ、エド様ちょういいニオーイ・・・」とかうわごとのように呟いていた。
「いやいや、」オレが言った。
「ヤバいのはお前だから」と、言い詰めたのはロイ。

校舎までの残りの距離を歩きながら、「お、おれ、オレ、女の子に抱きつかれたの初めてだったのに・・・」と、こんな悲境の中での初体験にめそめそするオレを横目で見て、ロイがへらへら笑った。



「よーエドちゃん!見たぜ朝のー!朝から爆笑をありがとう!」
エドちゃん、という呼称からして、大体の人物特定はできた。オレはまだめそめそと机に伏していたので、顔こそ見えなかったけれど。
潤んだ瞳で顔をゆっくりあげると、やっぱりブロッシュだった。
「ブロッシュうぅぅ・・・たすけて・・・オレもう立ち直れない・・・」
オレのその言葉を聞いて、ブロッシュが狼狽したように、「ね、ねえ、どうしようロイ、エドちゃんがオレを誘ってくるよ」ロイに助けを請うと、ロイは笑い声をあげてみせただけだった(その笑いはどこまでも余裕ありげというか、オレにとってはきわめて悔しいものだ)。
解釈の方法が180度ちげえ!と、怒鳴り散らしたい気持ちもあったけれど、オレは今朝の一件でハートに大きな風穴があいていたので、その風穴から怒気がするする逃げていってしまった。
オレの人生最初の、そしてもしかしたら最後の──そんなのは断じて芳しくないが──オンナノコというひどくオレから遠い位置に居た生き物との甘酸っぱい耽美であるはずの記憶を、あのヤバ度MAXの女子と“ロイ様エド様親衛隊”なる不可解な集団によって、打ち崩され蹂躙されてしまった。その事実を見据えるたび、風穴がどんどん大きくなっていく。
「あ、そういや、講習中に受けたテストの順位が出てましたヨ」
オレに元気が戻ってきた。
テスト。結果発表。それこそ、今こそ、涼しげな顔をしたタラシロイを打ち負かすチャンスだ。
「結果見に行くぞよっしゃー!」席から元気有り余る風情で立ち上がって、気乗りしなさそうなロイを引き摺っていく。

結果は、言わずもがなである。
オレの名前の上には、『順位発表』の文字。つまり、誰もいない。
ピノキオが二千回ほど嘘をつくとこうなるのではないか、というぐらい鼻を高くして、高らかに笑った。はっはっは。その声の九割九分は、ロイへのあてつけだ。
「いや、本当、オレってば天才でごめんなさいね!もー、困っちゃうなホント、なんでこんなに天才なんだろ!」
傍らで成績表を見上げていた(成績表を見る、ではなく、自分の名前がいつも上の方にあるので“見上げる”になってしまうのだ)ロイが、じとりとこちらに視線を向けた。「ほんとに納得いかん」
フッ、とオレが、ダイヤのマークを顔の周りに散らせながら、
「色恋沙汰なんかに惚けているからですよ、君」
と、以前にも一度言ってやった台詞を、再度はき捨てた。
その心外だったらしいオレの言葉に、ロイは少々不機嫌そうな顔をして、「別に惚けてねえよ、高校入ってから彼女いねーし」
とボヤき、その言葉にオレは目を見張った。「そういや、そうだっけ・・・」
(それって、もしかして・・・)
誰も言い寄ってこないということは、つまり、オレ達の間柄が激しく周りに勘違いされているからなんだろうか?
心、外、だ。きわめて。
オレの下駄箱にもロイの下駄箱にも、ファンコールを叫ぶ手紙はいくらでも収まっているが、俗にラブレターと称されるものは全くと言っていいほど送られてこない。ただしオレの場合、稀に男からはあるが、あれらは塵芥の如くアウトオブ眼中なのでここの算段に入れないこととする。
(これはやばいぞ)
オレは本気で焦った。
(やばい、非常にやばい)
どうにかしなくては。オレの人生お先真っ暗だ。
『タダチニ、ジタイヲ、シュウシュウセヨ。』蛍光緑の画面で、データ解析がぶっ壊れそうなほど懸命に回り始める。『キケン、キケン、キケン。』
『デンジャラス!』
『タダチニ、ジタイヲ、シュウシュウセヨ!』
アイアイサー!


「オレは彼女を作るぜ、ベイベ」
教室に戻り、隣の席に座りオレを眩しそうに仰ぐロイを見下ろしながら(オレは立っている、二人とも座った状態でロイを見下ろすことは不可能だ、腹立たしいが)、オレは凛然と宣言した。
「マイハニーがオレを待っている!待っててマイハニー!」これでも全校一位の秀才君です。
「は、むりむり」とロイがせせら笑いながら、オレの断固たる宣誓をいなした。「ネクタイひとつも結べないのに」ここで一つあくびをして、「あと、牛乳も飲めな」「だああぁぁあ!皆まで言ったらころす!」
こいつに言われると十倍は腹が立つんだ!それは、否が応でも自覚してしまうぐらい明瞭な負け惜しみだからである。
「大体ロイ!お前は悔しくねえのか!こんな誤解さえなければ認めたくないがお前は両手に花のハーレム状態なんだぞ!オレの次くらいに!」
「べつに・・・言わしときゃいいんじゃねえの・・・俺なんかいっそめんどい、そういうの。飽きちゃったの、ゴメンネモテて。モテるのに飽きたっていいますかー」
くそう・・・!
「お前なんかしんでしまえ!」つん、とオレは顔の向きをロイから逸らした。
「とにかく!オレは彼女を作る!ここに宣言します!ブロッシュ、他のクラスのやつら、主に女子、そして更に可愛い女子、に伝えとけ!お前顔広いだろ」
よし、と、とりあえず一旦安堵して、誓いを胸中で新たにした。
「ったく、意味わからん誤解があったりするから・・・!嘆かわしい」
そう嘆いたオレを、ロイが机に伏しながら顔だけこちらへ向けて、ちょいちょい、と指で呼んだ。「エド、ちょっと」
「ん?何なに?」
その指の動きに従って、女子にモテる秘儀か何かを耳打ちしてくれるのだろうと、耳をロイの方へ近づけた。途端、ロイがオレの腕を鷲掴んで引っ張り、オレのほっぺにキスをした。
一瞬オレが硬直すると、ロイは性懲りもなくへらへら笑う。どうやらとことんオレのモテ具合をからかおうとするらしい。
オレが大声を張り上げて宣誓などしていたものだから、クラス全員分の視線と、10組の教室のドア付近に常時群がっているロイ党やらオレ党やらロイエド党やらの大勢の女子の視線をちょうど今浴びまくっていてそんな折、だったのに。
キャアー!とドア付近の女子ほぼ全員が色めきだった。オレは焦る。
「い、い、い、いま、今のは断じてちげえからなぁあぁー!!」被害を被った左頬をおさえながら、赤面している奴らと沸いている奴ら全員に向かって、そう告げた。
ロイはといえば、そんな周りの喧騒も露知らず、いつの間にやら机に伏して眠っている。
あのー、こいつ、まじで殴ってもいいですか。


***


不運にも、始業式だというのにオレは日直に当たってしまった。昨今二学期制というシステムが着々と導入されつつあるが、テスト数を減らさぬために、聖倫学園は未だに三学期制を貫いている。
そして日直の上、最も仕事がなさそうだと思われたので挙手してなった美化委員会の集まりまで重なって、放課後、日誌は当然書いてないし委員会の招集は放送でかかるし、にっちもさっちもいかなくなってしまった。
ので、美化委員会の方の代理をロイに頼んだ。どうせ一緒に帰るから、とあっさり快諾してくれたロイに感謝しつつ、生協でお礼用のメロンパンを買っておき、オレは日誌を書くべく教室に残った。

始業式といえども、式のあとに授業が通常通り入っていたので(なんとも馬鹿らしい)、下校時刻はまったく普段と差異がなかった。
「そんなに勉強にがっついてどーすんだか・・・」オレはいささか呆れながら、日誌にシャーペンを走らせた。『一限目』の空欄に、『しぎょうしき』とひらがなで乱雑に書いて、その脇の『授業内容』のところには『ねむかった。司会をつとめてたオバサンの先生は香水をつけすぎだとおもった。くさくてねむれなかった』と記す。
『二限目』には、『げんこく』。現代国語の意だ。授業内容は、『ジャイアンはいいやつだとおもう。オレはスモールライトの逆バージョンが欲しい』。
『三限目』、『math』。何故か筆記体の英語で、数学(しかしながら左利きは筆記体が非常に書きにくい)。『メトロという映画はとても良い。機会があったら見るべし』。
「あーめんどくせー!かえりてー」まともに書いてもいないくせに、もう疲れた。この退屈な環境から逃げ出そうとするかのように、ぐーっと上に伸びる。
もういいや、と思い、『四限目』の欄には、こう書いた。
『以下同文』。
になるわけねえだろ。って話だけど。

「よっし終了!」シャーペンの芯をトン、と机に叩きつけて仕舞い、ペンケースなど持って来ていないのでバッグにそのまま落とした。
「あの・・・」
おわ!
突然教室に響いた、可愛らしい声を聞いて、オレは泡を食ってドアの方を見た。女の子が二人ほど、携帯を抱えて恥らいながら立っている。どちらも可愛らしい顔立ちをしていて、我知らずオレは肩をかたくした。
え、オレに話しかけてんだよね、多分、だって今他に誰もいないしね、教室に。
「は、ハイっ」半ば裏返ったような声で、返事をする。な、情けなさすぎる。
「彼女、募集してるって本当ですか・・・?」二人のうちの、茶色い髪を肩あたりまで伸ばした方の子が小さな声で尋ねてきた。
お、お、お。
こ、これは、みゃ、脈アリ?
見ろロイの野郎!オレだって本気を出せばこれぐらい朝飯前だぜ!
「う、ウン、そうなンでス」はっはっは、と笑いたくなるほど慣れていないのが垣間見られる。どうしてオレは男子中なんて行ってしまったのか・・・。やっと共学の高校に来たと思ったら、自分のクラスには男しかいねえし、本当女運っつーものがないんだな、オレは。
ともあれ、オレの返答を聞いて、二人は顔を見合わせ、「じゃ、じゃあメアドとか、聞いてもいいですかっ?」と嬉々とした風情で言った。
胸中でギャー、と叫びながらも、「も、も、モチロンでス、よろこんデ!」ぎこちない片言で喋り、バッグから携帯を取り出す。
(良かったな、オレの携帯よ・・・!)お前にもとうとう可憐なメアドが登録されますよ!
カンゲキデス・・・。


その女の子たちがオレにお礼を言いつつ教室を去っていくその背中を、両手で頬杖しながらうっとり見つめる。
「えっへへ!」一人笑った。傍目からはちょっと危ない奴だ。「よし!がんばれー!オレ!」
オレが自分を奮励したところで、もうほの暗くなった廊下の奥から、ロイの姿があらわれた。委員会代理のお礼のメロンパンを渡す前に携帯を掴んで、教室に入ってきたロイの顔の前にでんと掲げた。「見て見て!女の子のメアドです!じゃーん!」
オレもやればできるだろ!ときゃいきゃい歓喜に沸くオレを尻目に、ロイはだんまり黙ったままだ。
おや?ご機嫌ナナメ?
「あれ?ロイー、どうしたの?委員会に駆り出したから怒ってんのか?いやいや、お前はそんなことで怒るタマじゃねえよな?ほら、あなたの好きなお礼のメロンパンもありますよー。オレって本当用意周到で義理深い・・・って」
色々御託を並び立ててみたが、伏目がちで口をつぐんだままのロイを見て、オレは一層疑問符を増やした。「・・・・ロイ?まじどうしたの?どっか痛い?具合悪い?早く帰ろ」
それでも尚、沈黙を守る教室。
「・・・なんか、しゃべれよ・・・」こえーっつの。
夕焼けが今にも沈もうとして、橙色にほんの少し黒を混ぜたような色が、教室を満たした。「メロンパン、チョコチップ入りがよかったとか?でもお前いつもプレーンの奴じゃん。ほーら、暗くなるからさ、早く帰・・・」「よかったな」
オレの語尾をさえぎるようにして、ロイがやっとこさ口を開いた。オレはなんとなくホッとして、「あ、メアドのこと?いいだろー、オレだって本気を出せばだな!ロイと一緒に帰る必要がなくなるのも近い未来だぜハッハ!」
「委員会にも、居たよ、結構。エドの彼女に立候補しようかなーとか言ってる子」ロイの口元は、ほんの少しも、笑わない。まるで無表情のまま、そう淡白に言う。
その様子に気圧されながらも、オレは努めてバイタリティー溢れる様子で、
「まじで!あったりまえだろー!明日からオレは素晴らしい青春を謳歌・・・!」オレがそこまで言ったところで、胸のあたりをどんと強く押されて、オレは床に尻餅をついてしまった。
「うぉわ!いって・・・!」オレが背後の机の脚に打ちつけた背中を擦った。そうして眼前に立つロイをキッと見上げる。「おいコラロイ!何しやがる!いい加減悪ふざけが過ぎ──」

そこで、言葉が、途切れたのは、

「ん、ぅっ・・・!?」
オレの前にしゃがんだロイにネクタイを引っ張られた、と思ったら、瞬きする間に、声を塞がれたから──厳密に言えば、声ではなく、くち──びる。
唇を。
(え?)
(なに?)
何が、一体何が、
「ん、ん、んー!!」起こっているんだ?
ロイの胸あたりを訳も分からずどんどん叩く。と、静かに唇が離れて、
「・・・・悪ふざけ?」表情も変えずに、ロイが言った。
(こ、こっちが聞きてえよ──!)
(お、オレの、ファースト・・・!)
大きく肩で息をしながら、「・・・ま、また、いつもみたいに、冗談だろっ?さっさと、離れ・・・」
ガタガタ、とオレの後ろにある机たちをロイが片手で向こうへ押しやり、背もたれをなくしたオレは床に頭をぶつけた。机たちの動くその音が異常にでかく聞こえて、心臓が跳ねる。
「痛っ・・・!ろ、ロイ、変だよおまえ、どうしたんだよ、しっかりしろよ・・・!」ぶつけて痛む後頭部を擦ると、ハートのゴムが手に当たった。
「変じゃない。どうもしない」ロイは暗いトーンで言うなり、オレのネクタイと胸倉のあたりを掴んで、お互いの息を感じるぐらい顔を近づけた。息を呑んだ。
「気付かれなければいいと思ってたよ、ずっと今の関係でいいとも思った、エドは俺の側から離れないし、それでいいと思った」
校内は、静寂に包まれている。ロイの暗然とした声音だけが、耳を打った。まるで、世界にオレ達二人しかいないかのような、とても、怖ろしい静寂。
「こわれるよりはずっとマシだった」
オレの身体はその冷淡な視線に射抜かれて、動かなくなってしまった。
(なにを、言って──)
「だけど、」
胸倉を掴む手に、力がこもった。まるでオレの心臓を握られているかのようで、その手に力がこもればこもるほど、オレは息苦しかった。
「エドが他の奴のものになるなんていうのは、許せない」
ぐい、と更に強く引き寄せられて、もう鼻と鼻がくっついてしまいそうだった。

「許さない」

──怖、い。
初めて心の底から、オレを射抜くロイのその目が、ロイの声が、手が、ロイが、怖いと思った。
オレをいつだって最も安心させた大好きな、大切な、失いたくないと、失うはずがないと思っていたそれらが、精神が狂ってしまいそうなほど、怖かった。
(怖い、こわい、こわい、怖いよ)
「い、や・・・だ」オレは無意識的に、首をかすかに横に振った。データ解析は故障して、オレの未来も身辺の情報も、なにひとつ教えてはくれなかった。
だから死ぬほど怖かった。怖くて不安で頭がぐちゃぐちゃして、渦を巻き、オレはその渦に呑み込まれてしまいそうだった。
今日こそ、頭が“真っ白”。なんにも、考えられない。
ターミネーター、タダチニ、ジョウホウヲ、クダサイ、そしてこの恐怖を、
(ぬぐいさってください)

手が微かに震えた。足も震えた。唇も、瞼も、肩も、震えている。
本当は怖いんだ。いつだって、怖かったんだ。
『おうちにかえって自慰でもしてろ、ゲス』
そうやって強がっているときだって、オレの握った拳はいつも微かに震えていた。出そうになった涙を、いつだって、歯を食いしばり我慢した。泣いたら負けだと思っていたから。震える拳も見ないふりをしたから。
オレは強いと思っていた。

それでも今は、最高に、怖かった。特別な恐怖だった。格段の戦慄。
まったく種類の違う、怖さ。

ロイの手が粗雑にオレのズボンからワイシャツを引き抜いて、室内の湿った、九月といえどもまだまだ暑い空気がオレの腹を直に撫でた。鳥肌が立つ。
「ロ、イ・・・!や、めろ・・・!」
(やめて、やめて)
(おねがい)
(おまえを、)
「幻滅させるな・・・ッ!」懇請のように、切願するように、叫んだ。
(おねがい・・・!)

(──女運なんかよりもずっとオレには、友達運のほうが無いらしい)
「やめて・・・っ!」
ロイ、


『抗体物質はあんたか!』『は?』声が聞こえる。これは、出会いのとき。
『一見だけで人を判断しちゃいかんよ、君』
あのときのロイの、驚愕に満ちた顔。
『まあ、ネクタイひとつも結べないからじゃ、ないんでしょうか』
白々しく両手を広げて、オレに放つアイロニー。
『お前、友達一号、かも』
初めて一緒のベッドで眠った、休養室。
『“友達協定”、ここに発足、だ』新入生オリエンテーション。おそろいのピアス。
『うん、いいから、寝なさい』第一次ホームシック。
『『最悪だぜ』』退屈な席替え。
『だから、あんまり依存すんなって言いたいの、俺は』メトロ。
『過去なんて観賞用だ』雀を見た幸せな日。
『オレはすき』一日里帰り。
『正義のヒーローさんじょー』ミニッツメイド。
あのとき、オレを助けてくれたのは、

(なあ・・・っ)ロイだったろ?
それら全てが、音を立てて、崩れていく。
そんな残酷な破壊音を、耳にした。
そんな残酷な破壊音を、まちがいなく、聞いた。

『お前を油断させるために決まってるだろ』
ロイを第二の、“A”なんかにしたくはないんだ。


ロイの長い指をこさえた手が、オレの腹部から胸部へとかけて這い回りキスをされて、混沌と不安で構成された渦の中にいるオレは、なす術がなかった。
「っ・・・、い、いや・・・だ・・・!やっ・・・」
オレの上に覆いかぶさるロイを、押し戻そうとする、が、オレを取り巻く渦が腕から力を奪っていく。「やめ・・・!ロ、イ・・・!」
嫌だ。嫌だよ、嫌だ。
こんなのオレは望んでない。
望んでないよ。
中学のときとかあの犯罪者とか、オレを襲ってきた下卑た最低な奴らと、一緒くたにしたくなかった。ロイは、ロイだけは、その最低な群にいれたくなかった。
嫌だった。オレが、嫌だったんだ。ロイを、特別扱いしたかったのに。
幻滅なんてしたくないのに。
(だからやめて)
(きらいになりたくないんだよ)
(相棒を、)
オレの、
(最初で最後の、相棒を)


「いやだッ・・・!」
涙が一筋、肌を伝う。
ひどく熱い涙だった。火傷をするかと思った。

抗いの声を聞いてもロイは少しも手を休めずに、オレのズボンのベルトをゆるめて、その中へと右手を差し入れてきた。
「ぅ、ひぁ・・・っ!そこ、や、あっ、ロ・・・」
いつもオレのネクタイを結ぶ手。オレの髪をドライヤーで乾かす手。シャーペンを持つ手。カレーを食べる手。自転車を漕ぐ手。
オレの頭を撫でてくれる手。
魔法のような手。
(その、手が)
「や、やだ!ロ、や、待ってっ・・・!や、めて・・・!」
もうだめなんだと思った。
ロイも、オレも、もうだめなんだ、と思った。

ロイの手は熱かった。いつもは温かいと感じる手が、いやに熱いと感じた。それは、身体の神経が集中しているようなところでその手を感じているからだ。
「ぁ、あっ・・・ロイ、や、だっ・・・!ん、ぅあ・・・」そこを強く握られて掌を動かされると、摩擦熱のようなものが生まれてオレの脳をヒートさせようとした。それに、その摩擦熱が生じるたびに、ぐちゅ、という卑しい音が耳に触れるのでオレの中心は、そんな状態になっているようだった。
「や、やだ・・・ぁあ、あっ、んっ・・・!」
ロイの背中あたりを握っていた手から、唐突に力が抜けて、ずるりとオレの腕はロイから離れた。再び背中が床について、オレは顎を上に向けるようにして荒れる喘息を吐きだす。その顎をロイの左手がつかんで、唇を、また唇で塞がれた。
「ん、ぅんっ・・・ん、ぁ・・・」
噛み付くようだ。そう感じた。
愛情ではないものが、混ざっている、そんな気がする。焦燥や、怒気のようにも、感じる。
ロイは、何も喋らない。黙ったままだ。
それでもオレの自身を弄る指は蠢動しつづけ、きつく先端を啄ばまれた。
「ふ、ぁあっ・・・や・・・あ、ん、ん──ッ!」
熱が、オレの中にくすぶっていた熱が、飛散した。

まっしろ。
オールクリア。リセット。

ゲームオーバー。

完全に脱力した肢体がぐったりと床に置き去りにされた。意識だけが、どこか遥か遠くへ行ってしまっている。
顔を横に向けた。いや、横に向いた。ポニーテールが支柱となって、横に向いてしまっただけ。
オレの顔から表情が消え失せて、その代わり、今度はひどく冷たい涙が流れた。無表情で、無意識に、無慈悲に、そして無意味に流れ、床に垂れた涙。

ごめんな、とロイが言う。
悲哀の色がついた、そんな声で。多様な色があったせいで、何色がついているのか、全部は汲めなかったけれど。
次に、しずかに、自分のおそろいである赤い小さなピアスを外し、オレの顔の横へと置く。

「・・・・友達協定、解散だ」

ロイはそれなり立ちあがって、バッグを持ち、教室を出て行った。
涙で滲んで、万物の輪郭がボヤける視界の隅に、メロンパンが見える。

涙は、流れ、流れ続け、何も考えられない。
まっしろ。
さよなら、はい終了。


不思議と、憎悪も、嫌悪も、無かった。

ただ、深い深い悲しみだけが、いつまでも、オレの身体に纏わりついていた。

*第一部 END*





しゃべることが 見当たりません・・苦笑
十一便です。第一部はこれで終了となります。

どうぞロイさんを幻滅しないでやってくだされば嬉しいです・・!ドキドキ