転んだ膝は、まだ痛い。 そうして痛む足は、まだすこしだけ、悩んでいる。 でも、今、 走っていくから、 そこでまってて。 (だけど、やっぱりちょっとはこわい) (だけどこえなくちゃいけない) (転んで滲んだ血は自分で舐めなくちゃいけない) 待ってて今すぐ、 近くに行くから。 おれがいくから。 --第一便-- ドォン、という地響きさながらの轟音が、国中を優しく覆う夜の空に溶けようとするがしかし、連続で引き起こるあまりの爆音に空は飽和状態なのでもう溶けきれずに、その余分が後頭部をガンガン叩く。そんな余韻を、この大きな花火は人々の身体に残す。 「うぉ、すげえ音っ!」 芋を洗うといったような雑踏と喧騒がのさばる夏祭り会場を見守るかのように穏やかに頭上に在る空を、一旦歩を進める足を止めて喚声を漏らしながら仰ぐ。種が熱と火で、花弁が光である巨大な花が、黒のバックによく映えた。一度開ききった後、どんなつくりになっているのかわからないが、四方にうねうねと虫のように光が動く。 「うぉ、なにあれっ!うぉ、すげえっ!どうなってんの!」 舐めかけのりんご飴を振り回しながら花火師に敬意の念を抱いているうちに、ロイの背中がどんどん人ごみの中へ埋もれていきそうになっていた。「うぉ、待てよー!」 犇く人の群れに阻まれて、うまく前に進めず苦戦しているオレに後ろから、 「ねえお嬢ちゃんひとり?」という声が向けられる。 明らかにオレに対して放たれている言葉だとしても、お嬢ちゃん、という単語からオレはその台詞をキレイにスルーして、まだまだオレを阻んでくれる人の壁と、りんご飴という剣を持ち、あくせく戦う。今オレの気分はRPGの勇者である。 「ねえねえ、無視しないでよー、お嬢ちゃん」勇者だって言ってんだろ! 背後から肩に置かれた手に不快感を感受し、人の壁との悪戦から既に少々ご機嫌斜めであったオレは、右手に持つ盾のつもりだった焼きそばをプラスチックケースごと、男の顔に投げつけた。 「ア、 あっちぃッ!」顔をおさえながらもがく男に、 「その焼きそば、まずかったんだよね、あげる」と言い捨てて、盾を放り身軽になったオレはすいすいと人ゴミの中へと潜って行った。 風流にも、夏という事で母親が送ってきた浴衣を(これがまた暖色系だ)、ロイが女用の着付け方でオレに着付けたので(ロイは家族に女の姉妹しかいないらしいので、それ以外わからなかったとか)普段より輪を掛けて性別を間違われる。ちくしょう・・・。 ロイのやつ、早くとっつかまえて文句のひとつでも── 「・・・・あり?」 人ゴミのピークを抜けて、少し身動きが容易に取れるところまで出ると、ロイの後姿を見失ったことに気がつく。 げ。 「ま、迷子になりやがった、あいつ!」 携帯を忘れてきたので連絡もつかず、とにかくこの浴衣の群に混じるTシャツ組のロイの姿を視界に入れるべく目を動かし頭を回すが、いかんせんこの人ゴミの中ではそう容易くはいかない。 「どこ行ったんだか・・・!」 さすがに、「ロイー!」と大声を出す勇気は無く、ということは多分ロイだって大声を出してはいないだろうし、頼りにならない聴覚に呆れながら人を縫って進んでいく。 ひたすら前に前に進むが、ロイの姿は一向に視界に入ってきてはくれない。 りんご飴屋台を4つ、焼きそば屋台を5つ、わたあめ屋台を3つ、イカ焼き屋台を2つ、その他諸々の屋台を通り過ぎたところで、下駄にじんじんと痛む足を止めた。 「いて・・・下駄なんて履いてくるんじゃなかった!」 「ねえねえ、君ぃ、大丈夫?僕らと遊ばない?」 「うるっせえ!オレは今最高にイライラしてんだ話しかけんな!溜まってんなら風俗でも行きやがれゲスが!」 大きすぎて舐めきれなかったりんご飴を投げつけて、よろりと立ち上がり逃げていく。もう剣も盾も無くしてしまった。そろそろ仲間に合流しないとピンチだ。勇者はえてして回復系の魔法が使えなかったりするのだ。 ひっそり閑とした喧騒から離れた場所までどうにか走って、木陰の芝生に座り込んだ。「いてて・・・」 骨が鉛の棒になってしまったかのように鈍く痛むふくらはぎを擦る。 「どこ、行ったんだよ・・・もー・・・」 オレのHPはかなりピンチな状況にある。白魔道士であるロイに会わなければ。 その青々とした芝生には、レジャーシートなんかを敷いて寛いでいる人たちが居たので、オレも横になってしまおうと背中を倒した。 と、倒した途端に後ろにいた人に当たって、背もたれ状態で静止してしまった。 背もたれ? 「あ、すいま、せ──!」 背もたれ。 「ああー!」と、重なったのは二つの声。 奴はいつだってオレの背もたれだ。白魔道士さんよ。 「「何迷子になってんだお前!」」 ん!?と、ダブったお互いの声にお互いが不快を感じ、 「「迷子はお前だッ!!」」 またダブった。 暫し『どちらが迷子か』について熱論し、『どちらも迷子ではない』という結論に至ったところで和合。迷子、という思想ではなく、お互いにはぐれた分かれた見失った、という思想に転回したのだ。 「ゲタ・・・いたい、足」 足をまた擦り始めながら、モダンの足に優しいシューズを開発してくれた研究者の人々に心の中で平伏した。やはりこの下駄というものは、情趣こそ出るとはいえ日常的に使う気にはさらさらならない。 「そうだな・・・帰るか、そろそろ」ロイが携帯で時間を確認する。 「だめ!まだお腹ぺこぺこ」 「は?さっき買っただろ、焼きそば」 「オレ勇者だからさ、投げてきた」 「は?」 「ねえー、おなかぺこりんちょ」わざとらしくお腹を擦り、次に足を擦る。「でも足いたくて歩けないの」つまり、お前が、そしてあわよくば自腹で、なんか買ってきて、と言外に匂わしている。 嗅覚の聡いロイはそれをすぐに嗅ぎ取ってくれる(こんな嗅覚クソくらえと本人は思っているだろうが)。 「・・・・なにがいいんだよ」 「さっすが!そうねー、焼きそば」 「さっきと一緒だろそれじゃ、発展性のないやつだな」 「うるせえよ!屋台によって味が違うの!なんかね、ツヤツヤしてる焼きそば買ってきて。ぱさぱさしてるのも一興なんだけどね、オレはツヤツヤぬらぬらしてる焼きそばが好きなの。だけどさっきのはすっごいぱさぱさしてるしまっじーの!あれで400円だぜ超ぼったくり!」 「はいはいわかったよ・・・ぱさぱさ焼きそばをモットーにしてる屋台に聞かれたらどうすんだそんな大声で」ふぅ、とひとつあからさまに溜息をついてから、財布を持ってロイが立ち上がった。 太陽はすっかり沈みきっているというのに、まだじっとりとした暑さが頬のあたりに纏わりつくので、今日も熱帯夜だな、と思った。 ドォン、とまた頭の後ろから爆音が轟いた。隣に座るカップルが笑い声をあげる。わたあめを落とした男の子が泣いて地団駄を踏む。それをお母さんが咎める。そんな風景を見てオレが静かに笑む。 穏やかな日だ。鳴く轟音すらも、穏やかだ。 空気が、風が、空間が凪いでいる。そんな気がした。 その平穏を乱したのは、 「ねえ、そこの小さいお嬢ちゃん、あそばない?」という右手からの声。 「だぁああれが小さいだとコルァ──!」 ばっとそちらを怒り狂う眼で見遣ると、焼きそばといちごミルク味のカキ氷を両手に肩を揺らしてロイが笑っていた。 「何人ぐらいにこう言われた?」 「・・・・200人くらいかな」大いに飛躍してオレが言うと、またロイが笑って「息つく暇もねえじゃねえか」と言った。 夏休みが、着々と終わりへ近づいていく。 その笑う顔が好きだった。 かき氷を持つ手も、焼きそばを買う手も、もうはぐれないように繋いだ手も、好きだった。 (だけど『すき』というのにも色々種類があるようでオレはそういうのがすごくうっとうしいとおもいわずらわしいとおもいそして面倒だった) (なにより、むずかしいとおもった) はぐれないように繋いでいたその手が、オレを突き放した。 最低だ。 幻滅だ。 大嫌いだ。 死んでしまえ。 オレの視界から消えろ。 もう二度とオレに近寄るな。 下司野郎。 そう言えたら、そう思えたら、きっと、いくらか楽だったのに。 楽だったのに。 *** ──どうやって、帰ってきたのかすら、わからなかった。 電車に乗って帰ってきたのかもしれなかったし、もしかしたら歩いてきたのかもしれない。 だって酷く足が痛む。 祭りのときより鈍く痛む。 だけどとりあえず幸運にもこうして家に戻ってこれたらしい。 二週間ぶりぐらいに戻ってきた部屋の中はひどく空気がこもって鼻に付くにおいがした。知ったものではない。クソくらえ。 バタン、と閉じた安物の粗末な扉に寄りかかって、ずるずると靴も脱がずに玄関に崩れ落ちた。ほの暗い部屋の中で、暗さに慣れてきた双眸ががらんどうとした室内をどうにか映す。何かフィルターを通して見ているかのように、そこはとてつもなく非現実的に見えた。まるでブラウン管の中にうつっているようだ。オレには無縁で、他人事で、きっと一度も足を踏み入れずに終わるだろうと思うような、部屋。そう、画餅だ。 ここはどこだろう。オレの知らない場所。そんな気にさえさせる。 しかしここでオレは気付いた。 (・・・・ああ、) ただ単に、頭がまわっていないだけだ。 この部屋をうまく記憶から手繰れないだけだ。 眼球が乾かないから、たぶんオレはちゃんと瞬きをしているのだろう。けれどもうまく景色が見えない。 酸欠になったりはしないから、たぶんちゃんと呼吸をしているのだろう。けれども酷く息苦しい。 指先が蒼くならないから、内側からプルスを感じるから、オレはここできっとまだ生きているから、心臓もたぶん動いているのだろう。けれども酷く胸が痛い。 胸だけじゃない。どこもかしこも痛い。神経が通っていないはずの髪の毛まで、ちくちく痛い。全身がずきずきいたむ。だから多分涙が出ている。表情を動かすのも苦痛を伴うだろうから、無表情のまま、涙が流れている。 座り込んだ玄関のコンクリートは、なんだか冷たかった。それは温度の話じゃなくて、冷酷とか冷徹、といったような意味の冷たさだ。 屋根も、床も、クッションもバッグも台所の菜箸やスプーンまでもが、オレを知らん振りしている。そう見える。 ここにオレの味方はいない。 かと言って、外界にもいない。 一時間以上そのまま玄関に座り込んでいて、なんだか飽きたので立ち上がった。動くと全身がまたずきずき痛んだ。まるで全身骨折でもしているかのようだ。よく歩けるな、と自分に感嘆する。 まずこもった空気を逃がすために窓を開けて、つぎに電気もつけずに水を一杯飲んだ。そうすると少し、頭が冷えてきた──否、というよりも少し温度が戻ってきた、という表現の方が近いような気がする。冷えすぎて凍って、機能していなかったのだ。 ひとつ小さく、吐息をついた。溜息なのか嘆息なのかなんて知らない。今はどれも一緒だ。 そうしてやっと部屋が暗いということを知って、電気をつけようとしたけれど、その明るさが今はうっとうしかったのでそのままベッドに倒れこんだ。眠る際には電気をつけないから、このまま眠ってしまえばいい。 『許さない』 なんだろう、この台詞は。どこかで聞いた。そんな印象しかない。 つい数時間前の出来事が、遠い遠いはるか昔のことのように思えた。それはもういっそオレの前世とかの時代で、オレは無関係のような感覚さえする。そうであればよかった。 とにかく、なにも、なんにも、わからないし、かんがえられないので、眠ろうと思った。起きていたってしょうがなかった。 眠れるだろうか、と一瞬思ったけれど、眠ってやる、と思いなおした。 眠った。 とても深い眠りだった。夢も見なかった。 もう目覚めなければ良いとも思った。 このまましんでしまえば良いとも思った。 翌朝、オレの脳に血液がようやく戻ってくる。酸素たっぷりの、新鮮な血液だ。思考がよく回る、とまではいかなくとも、昨日よりはまだ脳が生きている。涙に混じって溶けた脳みそまで流れてしまったのではないかと懸念したが、どうやら大丈夫そうだった。 五時半に目が覚めて、昨日気付かないうちにたくさん泣いたらしいので目の奥が疼いた。 開いた目に差し込む陽光に、朝がきたんだと思い、絶望する。 風呂、もといシャワーを浴びた。 学校を休む、という選択肢はどうしてかオレの中にはなかった。休んではいけない気がしていた。もはやこれは確信に近しい。 休んだら、逃げたら、駄目だ。なにか、うまく言えないけれど何かが、尚更どんどん悪化していく、そう確やかに感じている。 だから学校には行かなくちゃ。 ザー、と容赦なく頭に打ちつけるシャワーの湯が、オレの脳を揉んでくれる。その揉まれた上機嫌な脳が久方ぶりにどうにか動いて、 (・・・・どんな顔して会えばいいんだろう)というまったく有難くない疑問を提示してくれた。 もっと感情的になるかとおもっていたけれど、そうではなかった。意外に冷静な現実を考えていた。 (・・・・あいつは学校に来るだろうか) きっと来る。 どうすればいいのかな。 いつもと同じく、オハヨーって挨拶すればいいだろうか。話しかける勇気が出るだろうか。 『許さない』 ──一度でも、心の底から怖いと思った人間に。 シャワーをとめるときの、キュッという音がいやに大きく風呂場に木霊した。 ドライヤーは家にないので、バスタオルで必死に頭を拭いて、自然乾燥に任せてしまった。 まだ六時だから、十分乾くだろう。 そう思ったのに、ドライヤーがすごく欲しくなった。 *** いつも通りに振舞おうと決めた、のは、行きの電車の中。 早起きしたのに髪が乾いてくれないせいで、いつもの時間の電車に乗る羽目になった。 今日は一人で通学しているので、女性専用車両に乗り(今日痴漢されでもしたら、ただでさえモヤモヤしているからその悪漢を殴りつけてしまいそうだと思ったので)、流れていく景色をぼうっと見遣りながらそう決めた。 昨日のことは、なかったことにできるかな。迫真の演技力が求められるだろう。 (でもやっぱりいやだから) このまま全てが壊れていく様を黙って見ているなんて、嫌だから。 けれど、オレの決意などまるで芥視するかのように、現実は無情だった。 重い足取りで、それでも確かに、教室へ一歩一歩近づいていく。もうあいつは来てるかな。 席にバッグを置いたら、隣にロイがいるだろうから「おはよう」って言うんだ。隣にロイがいるだろうから── 「・・・・あれ」 我知らず、呟いてしまった。 オレの計画は一思いに瓦解した。席にバッグを置いたら、隣の席に居たのはブロッシュだった。 「なんで」感情のこもっていない声音でそう尋ねると、 「席交換してくれだってさ、ロイが」頬杖をつくブロッシュから訝しげな視線がオレに投げられる。 (何かが途切れる音がした) (こわれた) (ああ、こわれたんだ) そっか。 尋ねたきり口を閉ざして、席に座った。 また視界にフィルターが掛かって、うまく眼前の景観が見えない。 (ああ、)そうか。 「なになに、お前ら喧嘩でもしたの?めずらしー」 「・・・・まぁ、そんなとこ・・・」 机に伏して淡白に答える。 「ふふ、もしかしてロイにやられちゃったとか?なーんて」 「・・・・まぁ、そんなとこ・・・」 ブロッシュが頬杖からずるりと落ちた。 「え、え、え!?マジかよ冗談だろエドちゃん!」 「・・・・まぁ、そんなとこ・・・」 「ぎゃー!エドちゃんがおかしい!おかしいわ!ちょ、だ、誰か!救急車!」 「・・・・まぁ、そんなとこ・・・」 「いやぁー!!エドちゃんしっかりしてぇえ!っていうか結局のところどうなの!」 「・・・・まぁ、そんなとこ・・・」 両腕の上に顎を置いた。じわりと目に何かが滲んだけれど、その突如滲んできたものを流してみたところで、何ら状況は変わりやしない。だから呑んだ。馬鹿らしい。 遥か斜め後方のブロッシュの席には、いつもの冷淡とした風情で、ロイが座っているのが視界の隅にチラついた。 (ああ、)そうか。 壊れたんだっけ。 オレ達は壊れたんだっけ。 いつも通りに振舞う? 馬鹿言え。 涙のかわりに、咳が少しだけ出た。 一から何かを作るのは、たやすい。 創作意欲というモチベーションがまだ自分にあるから。 だけど作り上げて、それが壊れて、その壊れたものをまた修復するのはそう易易なことではない。 崩れてしまったことによって、モチベーションもモラールも覇気もバイタリティーさえ、創作活動に於いて自分を鼓舞してくれるようなものが一切喪失されるからだ。 もやもやとそういう取りとめもないことを思考して、退屈で死んでしまいそうな授業をどうにか乗り越えようとした。 人は食物を与えられなければ餓死するけれど、退屈を強引に多量食用させられても餓死するのだと思った。 だってこの感覚は餓死に似通っている(オレは幸運にもそんな食物に困窮するほど貧困な生活を送ったことはないから、飽く迄推測の域を出ないが)。 少しずつ身体から力が失われていって、漸を追って筋骨が弱体化していくような、そんな感じだ。 しかも、この退屈はオレの大嫌いなたぐいの退屈だった。夏休みのぐうたら退屈とはわけが違う。別物だ。 悲痛とか悔恨とか憎悪とか煩雑で馬鹿げた回思とか、周囲の憐憫とか同情、そういうものが相俟ってオレを傷悴とさせる。 喉が渇いて、胃が空っぽで焼け付いて、しにそうだ。 『いやだッ・・・!』 あのときオレは、ロイを睚眥のような、蔑視のような軽蔑のような視線で見たのかもしれなかった。 そしてもしもそうなら、その視線はきっとすごくロイを傷付けてしまったとおもうし、それをごめんねって謝りたい。 こんな鬱勃とした気分に居るのは、きっとオレだけじゃないんだ。 4月から、ずっとあいつを見てきた。ずっと一緒に居たから、それぐらいわかる。今、へらへら心の中で笑っているような、そんな、そんな奴じゃないってことぐらいわかっている。 だからかなしい。 へらへら笑ってもらったほうが、ずっと楽だった。それならすぐに侮蔑できる。 だけどあいつだって多分同じくらい痛手を負ってるんだ。それがわかるから、苦しい。どうすればいいのかわからなくなる。 (ばか) 数Aの集合やら順列やらについて説く教師の声が、右から左へ抜けていく。 (無視すんな、ばか) 昼休みに、放送がかかった。 『1年10組、エドワード・エルリック、ロイ・マスタングは至急職員室へ』 こんなときに、よりにもよって。 食堂にその放送が響き渡り、その場にいる生徒が色めき立つ。 オレはカレーを食べていたスプーンを置いて、遠方にオレと同じく一人で座るロイをすこしだけ見た。目が合ったりは決してしない。こっちが一方的に向こうを見るだけ。 ブロッシュが気を遣ってオレを昼食に誘ってくれたけれど、苦笑しながら断った。なんとなく、一人で食べたかった、というよりも、そうでなくてはいけない気がした。 きっと誰かと一緒に食べていても、一緒に笑ったり会話したりできないだろうし。 その放送を聞いてロイが立ち上がったのを見て、オレもほぼ同時に立ち上がった。 職員室へと続く人気の無い渡り廊下で、前方10メートルあたりをロイが淡々と歩いている。右手の窓から朧朧と日光が廊下をやわらかく照らしている。昨日の猛暑などまるで無かったかのように、今日は快適な気温だった。 こんな日に自転車の荷台に乗ったなら、さぞ気持ちの良い風が顔にあたるだろうと思った。 だからなんだ、と。 コンコン、とノックをして職員室に入っていったロイに少々遅れて、オレも入室した。ロイが担任の前に立っていたので、静々とその脇に立つ。お互いの距離は30センチぐらい。その距離がこんなに遠い。三千里よりも重みのある、30センチだ。 「お前ら夏休みの課題がなにひとつ出ていないんだが。せめて小論文模試だけは出してくれって言っただろ・・・」 その咎め混じりの問いに、沈黙を守っているオレ達の異常に気付いて、「・・・・どうした?元気ねえな、らしくもない」その言葉に、口元だけでオレが苦笑した。 その苦笑に担任は小粋にも斟酌を図ってくれたようで、深い言及は避けてくれた。 「とにかく、出せよ、小論文模試だけでも。あと元気も。なんてな」自分で言ったことに失笑のような笑いをあげて、退出の許可を出した。 その退出許可の言葉を聞くなり、ロイは敏捷に踵を返して職員室を出た。そんな様子のロイを見て、担任が、 「なんだマスタングのやつ?喧嘩でもしたのか、エルリック」 「・・・そんなとこかな・・・」やっぱり苦笑いを乗せて。 「まぁ深追いはしねえさ。夫婦喧嘩は犬も食わぬ、ってな。燃え杭には火がつきやすい、か?」 はは、と世辞のような笑いを零してから、職員室を出た。 今度は前方30メートルほどを、ロイが歩く。速くも遅くもない歩調だ。凛と伸びたいつもの背筋で、姿勢良く歩く。 ほら、また距離が、離れた。 じきに、三千里になってしまうのかな。 *** オレとロイの降車駅はかなり閑散としているので、ロイが同じ電車に乗れば必ず駅で降りたところを見つけられる。オレとは二つぐらいはなれた車両に乗っていたらしい。 そして駐輪場の自転車に跨って、さっさと帰路を辿ってオレの視界から見えなくなった。 今日は一度も会話を交わさなかったのに、色んな思いが伝わってきた。それらはオレにとって決して有難くないものばかりで、打ちひしがれてしまった。 過去なんて観賞用だ。くだらないセンチメンタルに囚われんな。 ロイはそう言った。 でも、まだあれらの出来事を“過去”として見るには、時間が圧倒的に少なかった。オレにとっても、きっとロイにとっても。 (ロイは、オレが、すきなのかな) 最初に思ったことは、それだった。一日置いて大分と生き返った頭で、ベッドに寝転び考えた。 布団を被り、電気も消して、自分の思考の中に閉じこもる。 (だからあんなことをしたのかな) もしもそうだとしたなら、オレはものすごく無責任というか無粋なことを喚き散らしていたのではないだろうか。 『オレは彼女を作るぜ』然り。 『ロイと一緒に帰る必要がなくなるのも近い未来だぜハッハ!』然り。 オレって馬鹿なのかな・・・。 謝りたいよ。そんなこと言ってごめんねって謝りたい。けど、あっちがシャッターを閉めてしまうなら、どうしようもない。 オレは、そういう細微なロイの心情の変化とか、そういうの、うまくわかんないし汲み取れもしない馬鹿で鈍い奴だ。だからもっとゆっくり伝えてくれればよかった。もっとひとつひとつ丁寧に、教えてくれればよかった。 ネクタイの縛り方だって以前は、オレが覚えようとしなかっただけで、ロイはちゃんと教えてくれようとした。覚えようと思えば、すぐに覚えられただろう。でも、オレは覚えたくなかった。結んでもらうのが好きだった。 そんなふうにゆっくり、オレに教えて欲しかった。オレは馬鹿で鈍いから、聡いロイが少しずつオレに教えてくれなくちゃだめなんだよ。 『エドは日毎に自分でできることが少なくなってやしないか』 そう。 だからだめなんだよ。 オレにはロイがいないと、だめなんだよ。 (友達だって、思ってたのはオレだけだったのかな) ロイはもうとっくに遠くへ行ってた。そんなことも知らないで、ずっと一緒だと思い込んでいた。 (そんなのいやだよ) 怒るオレに笑うロイも、オレを咎めたロイも、オレの記憶にあるロイ全部が嘘のように思えてしまう。そんなのはいやだ。 オレだってロイがだいすきなのに、どうしてこうなっちゃうんだろう。何が相違で、何が誤謬だったんだろう。 わかんないよ。 (わかんない) 後ろを振り向けばいつもロイが笑っていてあるいは眠っていて、それらに甘んじていたオレが悪かったのかな。 オレのわがままにいつも、苦笑しながらも応じてくれたロイに甘えていた。それが駄目だった? わかんないから、教えて。 『お前を油断させるために決まってるだろ』 「ちがう・・・・っ!」オレを嘲笑うかのように、声が耳に届く。 ロイは、お前なんかとは違う。 全然違う。 「ちがう・・・・・」 『一緒さ。結果は一緒。過程なんて二の次だ』 悪魔の囁きが、オレを翻弄する。それに必死で抗う。 (ちがう、ちがうっ!) 「・・・ちがうよ・・・・」そうロイを信じたら、今日一日中我慢していた涙がぼろりと出た。シーツが当然のようにそれを吸っていく。待ってましたといわんばかりだ。 『気付かれなければいいと思ってたよ、ずっと今の関係でいいとも思った』 まだ信じられていない。あの日が、あったことを、信じられていない。 でも、熱い手とか、息とか、竦むような思いとか、 (くちびる、とか、)シーツをきゅっと掴んだ。 (思い出せるから、) たぶん、あの日はあったんだ。信憑性と蓋然性と現実味が猛烈に欠如しているから、実感できていないだけ。 「なんで・・・・」涙をシーツという花壇に与える。きっと悲しい花がよく育つ。 『・・・・友達協定、解散だ』 なんで、 (自分ばっかり、先に行くなよ・・・) オレを置いていかないでよ。 「・・・・さみしいよ・・・」 追いつけない。 (そういえば、ゆめをみた) (おれがおいていかれるゆめだ) あのとき、ロイは意味深な微笑をした。 オレが意味を汲み取れなかった、難解な微笑。 ロイが微かに笑って、そのあと、少しだけ口元が動いたかもしれない。そんな気がする。夢の記憶なんて曖昧模糊なものだけれど、きっとそうだ。 『ごめんな』 って、動いた。きっとそうだ。 オレは謝らせてしまった。 人を好きになるのには、理由も謝罪も不要なはずだ。それでもロイは謝った。それはオレのせいだ。 濃ゆい霧の中に埋没していくロイの背中。 夏祭りで人ごみの中へ埋没していくロイの背中。 ふたつがダブる。 オレがいつもロイを見失って、オレの歩調がいつも遅くて、ロイはなんにも悪くない。花火を見るのに立ち止まったオレがいけなかったんだ。 だけどもう、ロイはオレの姿を探してはくれないだろう。 そうだ。今度はオレがロイを探す番だ。見つける番だ。 大声を出して、走って探してみるから、そのときは返事をしてほしい。 勇気が出たら。 待っててすぐに、走っていくから。 剣も盾も持たずに、走っていくから。 あああなんだかよくわからんふうになった・・あれ・・第二部始動です!(わあ もうちょっと書き込みたかったのに・・私自身よくわからん状況になってました・・めそり ええと三毛猫、ということにあやかって一応三部構成なんですが 第一部が友達(相棒)編・第二部が友達以上恋人未満編(笑)となっておりま す たたたぶん 最終部は言わずもがな!笑 |