--第七便-- 前十両に後ろ三両、という諺もあるとおり、真の美しさというのは後姿も非の打ち所がないほど麗しくなくてはならない。その背中が去っていくのが惜しいと思うほど、いっそこちら側が後ろ髪を引かれてしまうような心地で、そんな、もどかしい余韻を残すものが真の美しさであるのだろう。 オレはほとんどにっちもさっちも行っていない様子であったけれど、どうにか、自宅の前まで到着した。脇に並ぶ、笑えてくるほど美麗な二人を振り返る。キャビア、フォアグラ、しめじ、という摩訶不思議な取り合わせの世界三大珍味から、ようやく一抜けできるわけだ。 「じゃあ」ロイが気だるそうに言った。たぶんその挨拶が気だるかった訳ではなく、ロイの右腕には、薬物中毒な訳でもなかろうが、どうしてかそれを抱き枕と見間違えているらしいカリン嬢ががっしとしがみついているので、ロイはそこから吸血鬼よろしくの勢いで血液のかわりに、モラールとバイタリティー、言わば活力やら生命力やらを吸引されてしまっている。心なしか頬がこけてみえる。彼はこれからアパートに帰るのではなく、棺桶に向かって冷冷淡淡と歩を進めているんだという気にさえさせる。すっかり視界の狂った目で棺桶をベッドと捉え、ああ、おやすみなさい、また明日、なんて、無い明日を夢見ながら棺桶に枕を持ち込みそうな雰囲気だ。 オレは、そのじゃあという粗略な挨拶に、うん、とだけ答えた。さようなら、の意味の言葉に、肯定の意のうん、を返すのは文法的におかしい。ここに外人がいたとするならば、間違った言語を教え込むことになるだろう。グッバイ、の次に続く言葉をイエスと答えたら、テストではふつうバツだ。でもこうして日常的にその誤った会話が交わされていて、結局、教科書の紙面の上での教養なんてものは高が知れているのだ。 話を戻そう。 ロイの右腕を掻き抱いているカリン嬢がふわりと笑った。咲き乱れる花のようだ。芙蓉のかんばせ、なんて、一生使わないだろうなと思っていた慣用句が頭を過ぎった。 「ごきげんよう」顔の横で、細長い指をひらひらとふる。その指の動きはどう見ても、風に揺れる花弁を模しているようにしか思えなかった。去っていく後ろ姿も、満点だった。真の美しさの真骨頂だ、とぼんやり思う。 「ご、ゴキゲンヨウ」 オレは、片方はロイの家へ、そしてもう片方は棺桶に向かって歩いていくその美しい二つの背中を見送りながら、カリン嬢の非日常的な挨拶に、テストではたぶん花丸をもらえる返事を、口の中で転がした。けれど、それは実生活では不自然極まりないやり取りだった。やはり、紙面上のやり取りなんてアテにならないのだ。 まさかオレが生きていく中で、真面目にごきげんようと挨拶をされて、真面目にごきげんようと返す日がこようとは、夢にも思わなかったし、たとえ夢に出てきたところで、きもちわる、なんてボヤきながらせせら笑っていただろう。 将来、子どもが生まれたら、真っ先にオレは、「人前でごきげんようなんていっては駄目だぞ」と教え込もうと決意した。 決して間違った言葉遣いではないが、そんなことをした瞬間に、お前は友達が半減する可能性があるからな、我が子よ、と。 閉じた扉に背中を預けて、ふーっとひとつ溜息を吐き出した。なんだか疲れた。しめじがトリュフを演じるのはこんなにも労力を使うのか。同じきのこなのにな。 そのままフラフラとバランスの取れないやじろべえのようにベッドに行き、倒れこんだ。と同時に埃が舞った。そういや、布団をしばらく干していない。オレの怠惰っぷりを呵責するかのように、埃が満を持して一斉にオレを猛襲してきた、そんなかんじだった。怠け者でごめんよ、そのうちね、そのうち。勉強、部活、友人関係、恋愛、若気特有の苦悩、エトセトラ、高校生はなにかと忙しいんですよ。オレは埃に意味のない弁解をする。 本当なら、布団を干すのは然ることながら、今から風呂を洗って風呂に入って、夕ご飯を調達するか作るかして摂取し、明日着るワイシャツにアイロンをかけて、歯磨きをして、明日の用意や宿題なんぞをして、眠る。これが、まっとうな一人暮らしだ。 「あー」と呟いたオレの負けだった。めんどくせえ。 寝よう。全て放り出して、放棄して、寝よう、寝てしまおう。それがいい、それがいい。風呂も明日入ろう。さすがに歯磨きはするかとどうにか身体を起こし、適当に歯列に歯ブラシをなでつけて、口をゆすいでベッドに戻る。怠惰、という言葉の意味を真に知った。まさに、今のオレだ。近頃はオレの脳内辞書に革新が起こりつつある。「絶世の美女」はカリン嬢、「ぽかん」にはカリン嬢とロイが知り合いだったという意外性に対して示す表情、「しめじ」と「パセリ」にはロイとカリン嬢と馬鹿なことに並んで歩いてしまっているときのオレの比喩、そして今は「怠惰」とか「懶惰」の欄に、こう追加した。 『今のオレ』。 後々辞書を開いたときには、いつのオレだ、って思うのだろうが。そんなことはどうでもよかった。 それにしても──制服とワイシャツを床に脱ぎ捨てて、そのへんにだらしなく転がっていたスウェットを着込み、ベッドに沈んだ。カチコチと飽きもせず耳元で喧しく秒針を刻んでいる、目覚まし音が「エリーゼのために」の、今となっては置物以外の何物でもない目覚まし時計が妙に耳障りだったので、電池を抜いてしまった。そうして、あ、なんかオレあんまり機嫌がよくないらしい、と気付いた。どうしてだかはよくわからない。 それにしても、あの二人は本当にお似合いだったな。 暖房をつけてもらえない部屋が機嫌を損ねて寒さに物を言わせ、オレの身体を不可視の大きな指でデコピンしたみたいにして、ひとつ身震いさせた。すんなりデコピンに屈して暖房をつけた。まだ七時ちょっとすぎだ。このまま寝るのか、オレ、幼稚園児でもまだ起きている時間だろう。なにしろ、七時なんていうのは、小学生をターゲットにしたアニメなんかがテレビ欄にひしめき合っている時間帯だ、こんなんじゃ、サザエさんやドラえもんすら見終えない。いいのか、高校生、いいのか、十五歳。 話を戻して、 (カリン嬢、ね)内心でひとりごちた。 ロイ・マスタングとかいう人間にはまさにお誂え向きの女性としか思えなかった。ロイのやつと並んでも遜色がなく美観を損ねない人物なんて、宝くじの当たり券よりも希少価値が高いだろう。それが、いた。あんなロイの身近に。ロイの許婚なんてものに指名されているほど親密な関係の、そして極小の範囲の中に。でもそれに関しては、然程奇妙なものとは感じなかった。類は友を呼ぶ、とかいうやつだ。しかし、正しくは、類が友を呼んでいるわけではなく、その類に混じれなかった、疎外された者たちが遠のいていくから、結果的に類だけが残るのだろう。今日、三人で帰路を闊歩していて、つくづくそう思った。それは壮大な情けなさとなって、寒風と共にオレに吹き付けた。そんな今日の風は寒くて冷たくて、厳しくて、むかついて、痛いくらいだった。 その類から、一抜けたオレ。疎外されたオレ。ほら、現在あちらでは「類」だけがしっかり残っている。 ベッドシーツに金色のなにがしかが散っているなと思ったら、オレの髪だった。ちょいと指で摘んだ。切ろうかな、と、ちらっと考えた。どうしてそんなことを考えたのかは、あとになってからもよくわからなかった。髪が傷んでいるわけでも、人生をカチリと切り替えるようなイメチェンをしたいわけでもなかった。捨て鉢のような心地になっていたのかもしれない。 「きんいろ、ほしのいろ」 呪文のように唱えた。自分でもギリギリ聞き取れるぐらいの、それはものすごく小さな声で、路頭に迷う子猫の声よりも、生まれて初めて声を発した赤ん坊の声よりも、弱弱しく、儚く、頼りなかった。実際口に出して言ったのかも確かではなかった、心の中で呟いたのかもしれなかった。そうして、指を離した。同時に、髪を切るという唐突な提案もオレの手から綺麗に消え去った。 いまごろ、「類」の二人はロイの家に到着しただろうか。ロイのやつは棺桶に向かっているようにも見えたけれど、まあそれは飽く迄ちょっぴり奇を衒った比喩とかいうやつであって、現実では類の二人が行き着く場所は同じ、ロイの家なのだ。 腕を組んだあの二人が同じアパートの一室に入っていく様子を見て、そのお二人が恋人同士だと思わないなんて、ねずみを見てラクダだと勘違いするよりもありえない思考回路のように思えた。ということは、オレは、ねずみを見てラクダだと勘違いする思考回路よりも愚かな、奇矯な思惟を持っているということになった。 だって事実を知っているからだ。 だってロイは、ロイのやつは、オレのことが好きだからだ。 はっきり言って、ベタボレだ。 たぶん、そうだ。思い上がりではない。たぶん。 『そうだろ?』シニカルな笑みを浮かべるロイが蘇った。 枕に顔をうずめた。その際に、無意識に、うぎゃ、とかそんなたぐいの声を発していたらしい。耳が己の奇声を捕らえてわかった。何奇声なんてあげてる、大丈夫か、オレ。 (でも、だからって、) 仮にベタボレだとしたって──と仮定してみたところで、「ベタボレ」という単語の語感が持つ恥ずかしさや含羞みたいなものを嗅ぎ取った。おう、なんて照れくさい言葉なんでしょうか、使うの、やめだ。 仮に、オレが好きだからって、と訂正する。 (女が駄目ってわけではないんだし) それは、ロイの中学時代の彼女遍歴が全ておさまっている、あのプリクラが犇きあっていたルーズリーフが証明している。べつに、あそこにいた女性と睦まじい事を成した、なんて詳らかな報告なんてものはどこにも記されていなかったけれども、そんなことは、至って健全な男子高校生間、暗黙の了解事項だ。尋ねるほうが野暮天というもの。 その後に、婉美なカリン嬢の佇まいを思い返した。冷たい風をかわすように靡いていた、暗褐色の髪。ああ、そういえばあの色は、ロイのタイプにぴったりだ。 重ね重ね言うが、あんな「絶世の美女」、しかも自分に好意をよせているときた、そんな女性と一夜を共にして──いや、一夜なんだろうか、カリン嬢はこちらに何泊するつもりなんだろう、学校はどうしたんだろう──ストイックな態度をキープし続けられる男なんているのだろうか。 あ、いる。かく言うオレはたぶん、大丈夫です。緊張でまばたきすら上手くできないだろうから。 まあ、とにかく、ロイに至っては、オレを好きだとか言うけれども、オレはぜんぜん相手にしていないっていうか、ごめん、それは幾分棚上げだけど、少なくとも、完全にロイの気持ちに答えてるっていうような事はないので、ロイだって、溜まるもんはきっと、溜まっているのだろう。あんな作られたような美形に、そんな現実的な冷めた事実を押し付けがましく踏まえて推測するのは、ちょっと気が引けるどころか濡れ衣のような気さえするが、残念ながら、男っていうのは基本的にみんな同じ構成でできているのだ。それは当然女も然りで、しかし、世にはアイドルは排泄をしないなんて夢を見ている人種もいて、そんな方々にはあまりに酷な現実だが、致し方ない。 (あ) そうだ、溜まるもんは溜まる、 (それなら、や、や、やっぱ、やっぱり、) うっとうしく咽喉のあたりに生じた唾を飲み下した。無駄に目玉を泳がせて、左右をきょろきょろ見た。挙動不審。 (ロイは、オレで、所謂、世間で言うところの、) くどくど、御託を並べる。最後まで言い切るのには勇気がいった。何故なら、 (オレで、ぬ、ぬくんだろうか) おそらく、当たりだからだ。 また、ぎゃ、という短い奇声を耳が捕らえた。誰の声だ、おいおい、こんな夜分遅くに近所迷惑なやつだな、誰だよ。 (おれだよ、ばかやろう) 布団をがばりと頭まで被ってしまった。近所迷惑だろうと思ったからだ。またちょっぴり埃が舞った。きょろきょろしていた目をぎゅっと閉じた。 (し、しぬ、しんでしまう) 何がどうしてどうなって結果的にオレが死ぬのか、全く以てわからなかったが、そう胸中で喚いた。どうしてか顔をごしごしと手で拭った。ほっぺってこんなに熱くなるものなのか、と感心もした。 ひとしきり顔をごしごししたら少し落ち着いて、ふう、と息をついた。眠気がやってくる気配は一向になかった。 しかしながら、たとえそうだとしても、つまり、たとえロイがそんなふうにして性欲処理なんぞをしていたとしても、美女と共に一夜を過ごすこととは、まるで無関係のことのように思われた。心底愛している人物としか交わってはいけないなんて法律は、どこにもございませんもの。 おっと。口調が伝染した。 そりゃ、そうだ。そんな法律はどこにもないのだ。婚前交渉なんて、今や当然すぎて口にするだけでも赤面してしまう単語である。 許婚、フィアンセ、それらの言葉が、オレの周りを取り囲む壁や床やあるいは空気となって、オレにぐいぐい迫ってきている気がした。『オイオイ、どうすんだよ、おうおう、そこの聖学の姫君さんよ』 な、なんだおめえら、だ、だからなんだってんだ、オレには関係ないっつうの。 ここでオレは、ほとほと馬鹿だと思うが、ちらっと、ロイとカリン嬢の睦みあいのようなものを想像してしまった。絵に描いたような二人は、きっと、絵に描いたようなキスやそれ以上のことをするのだろう。そっくりそのまま映画のスクリーンに映し出しても違和感がないような完成度で、ましてやオレのような、マスク装着の上、絵本の台詞のおまけつきという、あんな幼稚な戯れとは雲泥の差だ。天と地、月とすっぽん、トリュフとしめじ、である。 頭の中で、ロイがカリン嬢の背中に腕をまわして、耳元で何かしらをこそこそと囁き、笑い合い、その囁きに応えるようにたおやかな仕草でカリン嬢が、ロイの顔に艶美な潤沢を放つ唇を近付け──と、ここまで考えて、ぶんぶんとかぶりを振った。ばっかやろう! 一緒のベッドで眠るって? どうぞ、どうぞ、ご自由に。オレは心の中で言い切った。 どうぞ、どうぞ、ごゆるりと。へっ、美男子は得よのう、ロイ氏よ。 だから、ここでオレがそそくさと起き上がり始めたのは、いてもたってもいられなくなったとかそういう訳では断じてなくて、ただたんに、カレーが食べたくなったからなのだ。 カレーを作ってロイの家に持っていくことを口実にしようなんて、微塵も考えてませんって、誰も。そんな、陳腐な、今は二十一世紀ですよ、みなさん。 オレは、ホモでも、ロイとカリン嬢にやきもきしているわけでもなく、全然なく、断じてなく、一介の、カレー好きなんです。一介の、パセリやしめじなんです。 ほんとに、それだけ。 *** 慌しくカレー具材一式を買ってきて、慌しくカレーを作り(とは言っても、煮込むのにはどうしてもある程度の時間が掛かってしまう)、慌しく味見をして、そのわりに、完成したカレーの収まった鍋を抱えつつおっかなびっくりそろそろと家を出て、ロイ宅へ因循な足を向けた。 ぴゅうっと冷ややかな風がオレの背中をすり抜けていって、カレーを庇うように前かがみになった。この鍋はたいへん重いので、あんまりのろのろと歩いていくと手が痺れてしまう。でも、もしかしたら、美女と美男子の睦みあいなんかがもう既に繰り広げられているかもしれないロイ宅へと凛々しく、さっさと捷歩で赴くような気概もオレにはなく、しかし抱える鍋は重いしで、まさしく、痛し痒しという状況下である。 なにやってんだ、オレ。 はは、と突いて出た己への嗤笑は疾駆する寒風と冷えつつある鍋に溶け、カレーの不意気な隠し味となった。まずい、オレの芸術作品に唾が飛んだようなものだ。重いので、一旦、ゴツンとコンクリートの上に鍋を置いて、深呼吸をした。鼻から吸ったら鼻の奥がツンと痛くなったので、仕切りなおして口から吸った。 (よ、よし) ここはもう潔く踏ん切りをつけ、もしお二人の同衾場面に出くわしたとしたらそれはもう、りんごの如く頭を地に摩り下ろすが如くくっつけて、謝罪して逃げてくればいいだけのことでして、うん、その調子、その調子。 うほん、とひとつ咳払いをして、鍋を持ち上げ、勇敢にロイ宅への暗がりの道を、風を切って進んでいった。 と、思ったら、自分がまだラフなスウェットだということに気付き、暫しの遅疑逡巡の後、ばたばたと踵を返し一旦家に戻ってしっかり私服に着替えた。ロイだけならスウェットのままでも構わなかったのだが、今日のロイ宅にはブラウン管からぬっと抜き出てきたかのような美女がいるのだ。その美女の意識は完全にロイだけに向いているとは言え、これは、まあ、紳士のたしなみとして、だ。 でも、本物の紳士っていうのは、カレーの鍋を抱えて夜分に突然、男女のいるアパートに現れたりは、しないでしょうな。 そういえば、物凄く久しぶりであるロイ宅の門扉の前に立った。その扉は、以前と何一つ変わらぬ様相でオレを出迎えてくれた。ただ前と違っていたのは、隣室の扉のところに置いてある鉢の花が枯れていたことぐらいだった。何の花だったのかもう見分けもつかぬほど枯渇した植物の色は、どことなく手元のカレーの色に似ていて、なんとはなしに複雑な心境を覚えながら、もう一度眼前の扉を直視した。 開けても大丈夫だろうか。 門扉を開いたところでもしも、ショッキングピンクな光景を目の当たりにしたら、オレは奇怪な金属音を喉から発し続けながらこの場にカレーをぶちまけ、卒倒しかかりつつもその状態で南極あたりまで逃走できる気がした。 うほん!うげっほん!と、不自然なほど大きい、偽の咳払いを二回した。大丈夫か!入るぞ!入ろうとしている者がいるぞ!脱いでいるならすぐさま服を着込め、みだらな若者達よ!という意を暗に示しているつもりで。カレーにちゃんと蓋をしてきたので、心置きなく咳払いのフリができ、非常によろしい。 室内からの応答はなし。それが何を意味するのか、はかりあぐねた。熱中のあまり外の音など耳に入っていないのか、いや、まさか、はは。 途端、抱えていた鍋がゴンと何物かによって叩かれたので、オレはショッキングピンクの光景を目の当たりにしたわけでもないのに、卒倒しかかった。南極まで逃げそうになった。条件反射として、ご、ごめんなさい、と誰にともなく謝る。 「なにやってんの、お前」いぶかしみながら出てきたロイは、ちゃんと服を着用していて、ほっとした。卒倒しないで済んだ、が、一瞬オレを卒倒させかけた、その鍋を叩いた物体はロイの開いたドアだった。 「はっ、ロイさん、お、おばんです」ほっとしたはずなのに、オレはしゃちほこ張っている。 「なにおまえ?あ、カレーだ」ロイの顔が明るくなり、語尾にハートマークすらつきそうな声音が冷え切った外気を震わせた。最初こそ辛い辛いと文句を垂れていたが、いまとなってはすっかりロイの好物らしい。 「カリン、主食がご丁寧に歩いてきたから、作らなくていい」ロイが部屋の奥のほうに向かって告げた。どうやら、カリン嬢が夕飯を作っているみたいだ。 「え、カリン嬢が、ご飯を、あの、じゃ、オレ、わたくしは、退散しま・・・」 「逃がさん、待て、今夜の主食!」 帰路に方向を切り替えようとしたオレのえりあしをぐっと掴まれて、ロイ宅へ引き戻された。「いてて、首、攣る、攣っちゃうって!」 視界の隅に、隣室の枯れた花がもう一度うつりこみ、なぜだか、今の自分と重ね合わせてしまった。 オレも、自尊心とか自負心っていう肥料のたっぷり入った水を与えて欲しいよ。 なあ、同志よ。 |