あいつは決まって午後三時に遊びに来る。というわけではなかった。 一時だったり二時だったり、挙句、あいつが大好きな戦隊モノの番組が放映する日は遊びにすら来ない。そんな気随気侭な振る舞いをしておきながら、俺が「時間にルーズな女は嫌いだ」とか言ってみせると、毎週見ていたドラマを最終回だけ見逃した、みたいな絶望的な顔をしたりする。 ドラマは見逃すという失態をすることがあるから面倒だ(だから俺は映画派である)。 でも、俺が苦言を呈する度に末期ガンを宣告されたような表情になる女はもっと面倒だ(だから俺は男派、というわけでは断じてない)。 自分のペースを固持することで周囲をめちゃくちゃに振り回す、そういう人間は嫌いだった。けれども幼馴染とかいうものは厄介で、なかなか「嫌う」という行為も難儀するのだった。そして難儀するのも億劫なので、とりあえず好きでも嫌いでもないことにしておいた。そうあいつに言うと、俺は罵ったつもりじゃなかったのに、またもや相当面白いドラマの最終回を見逃したみたいな顔をした。何故だ? (★三毛猫ヤマト★U 番外編/ロイサイド) 俺を呼びにくるのはカリン本人ではなく、家政婦だ。百キロ超の太りじし家政婦が重そうな(否、重そうではなく、重いのだ)身体を二本の太い足で運びながら俺の部屋へやってくる。その姿を見るたび、俺はいつでも白亜紀にタイムスリップできる。恐竜にしか見えないからだ。 ロイ様、とその恐竜は俺を呼んだ。俺はそのときたまたま恐竜図鑑を読んでいて、図鑑から顔をあげたらそこにも恐竜がいたので、少し笑いそうなったのを堪えて、首を傾げることでその呼びかけに応じた。彼女の来意は、彼女が話すまでもなくわかっていた。カリンが遊びに来たのだ。 小学校入学後、初めての夏休みがやってきていた。うだるように暑い午後だった。冷房を冷房がキレるぐらい効かせて、恒温動物の限界を感じさせられるようなこの気温をなんとか乗り切ろうとしている俺など露知らず、あいつは今日も俺を誘いにきた。夏休みがそんなに嬉しいのか、毎日毎日、それこそ破竹の勢いで我が家へ訪れる。勘弁してほしい、俺たちが変温動物だったら快く誘いを受けたところだが、残念ながらそうではないのだ。 しかしながら、「俺が変温動物に変化できたあかつきには、遊んでやってもいい」などと言ったものなら、カリンのやつは泣き喚いて家に帰るだろう。そうなると、話は自然とマスタング家に伝わり、最終的に俺が親父に叱られるのだ。恒温動物の俺が気温四十度弱の外界へ出るのも十分御免だが、親父に叱られるのはそれ以上に御免だった。 恐竜図鑑を閉じて、現前するリアルの恐竜に返事をした。「今行くよ」 恐竜はにこりと笑う。右頬にだけできるえくぼがチャーミングなので、俺は彼女のことが嫌いではない。 驚くべきことに、カリンは長袖を着ていた。愕然としている俺を横目に、変温動物である可能性が出てきたカリンはさらりと放つ。「焼きたくないもん」。随分ひねこびた子どもだ、俺も人のことをとやかく言える立場ではないにせよ。 「小学生の分際で肌の色など気にするものではない」 「ロイは焼けないからいいけどっ、カリンはすぐ黒くなっちゃうんだもん」 語尾を、「もーん」と間延びさせながらカリンは唇を尖らせた。確かに俺は焼けると一旦肌が赤くなったのち、すぐに白く戻ってしまう性質だ。しかし肌が赤く焼けたときのあの痛さを知らない人間に、安易に羨ましがってほしくはない。 「それに、将来シミになっちゃうんだからねっ」 「お前は聖書を読むといい、こう書いてあるぞ」俺は『上の公園』へ早々と歩き出しながら、後ろを見もせずに言う。「『明日のことまで思い悩むな』」 「『その日の苦労はその日だけで十分である』」カリンはしたり顔で俺の後に続けた。「カリンのおじちゃんはクリスチャンだもん」 ああそう、ならもっと見習えよ、という言葉の代わりに溜息を吐き出した。 「じゃあカリンがクリスチャンになったら、将来シミだらけになっちゃうのかな」 「全国のクリスチャンの方々に謝れ」 近隣には、『下の公園』と『上の公園』と呼ばれる(正しくは、俺とカリンがそう呼んでいる)二つの公園があった。俺の家から東側にある公園が『下の公園』で、西にあるのが『上の公園』だった。なぜ東が「下」で、西が「上」なのか、そう定義したのは自分たちだったはずなのに、命名の所以が今ではまったく思い出せない。が、ひとつ確かなのは、『下』にはブランコがなく、『上』にはブランコがあるということだ。ブランコは子どもにとって夢の乗り物である。というわけで俺は黙然と『上の公園』に歩みを進めている。暑い日はブランコに乗って身体で風を切るのが最上のプランだ。 足をぐっと踏ん張ると、一層空が近くなる。それが楽しくて、また踏ん張る。しかし俺はどんな瑣末な事態に際しても、機に入り細をうがち去就を決するような慎重派なので、これ以上漕いだら危険だ、と脳内で警鐘が鳴ったらすぐに足を止める。お陰でこれまで大きな怪我は一度もしたことがない。 「カリンの方が高い!」にしし、といった感じでカリンは得意顔をしてみせる。 「俺は慎重派なんだよ」 「カリンは将来ロイのお嫁さんになるから」 「どうしてお前の話はそうすぐにあちこちへと飛ぶんだよ」地面に足をつけてブランコを失速させながら俺は眉を顰める。「そもそもなんだその情報は、初耳だ。デマゴキーだ。道聴塗説だ、流言蜚語だ」 「なんなのそれ、いみわかんない」カリンはブランコをますます高くしながら、俺の取り付く島も無い物言いに難色を示す。スカートの中身が見えているが、その桃色の下着に対してここまで何の感情も湧かない自分に驚いてしまう。カリンは言葉を継ぐ。「だってパパが言ってたもん」 「お前はパパが徒歩で地面を測量して日本地図を作れと言ったら作るのか? お前には無理だ、何故か、お前は伊能忠敬じゃないからだ」 「だれよそれ、しらないよ」 「お前は伊能忠敬ほどの偉人を知らないのか」俺は大袈裟に肩を聳やかしてみせる。「ヒーロー戦隊の番組を見る暇があるなら、その時間を勉強に充てろ」 「うるさいなあ、もう」なおもブランコを漕ぎ続けながら、カリンは不貞腐れたような声を出した。「日本地図は作らないけど、ロイとは結婚するよ」 「その判定基準はなんなんだよ」 えっと、と暫し黙考したあとのカリンの回答は、完璧だった。「地図作りは面倒だけど、結婚はカリンも嬉しいから」こんな完璧な身勝手がこの世にあるのか。「絶対結婚するもん」 「俺は語尾に『もん』をつける女は嫌いだ」 俺がにべもなく言うと、カリンは例によってドラマ最終回を見逃したような、いつもの悲愴な面持ちを見せた。 「語尾には『ですわ』、くらいをつけないと駄目だな」俺は冗談半分、いや、冗談八割で嘯いた、つもりだったのに、この何気ない俺の言葉が爾来長年に亘ってカリンに作用し続けようとは思ってもみなかった。「それに、家事全般はもちろん、一般以上の教養と、裁縫、料理も上手くなきゃ、俺の中で女としては失格だな」 カリンのブランコが止まった。おや、と思いながらそちらを見ると、眦から今にも溢れるかというほど涙をいっぱいに溜めて、カリンはこう言った。 「・・・わかった・・・、ですわ」 ──この時が最初で最後、俺が心から彼女を可愛いと思った瞬間だろう。 *** どういう決断をすればそんな寝方になるんだ、と風呂からあがった俺はいぶかしみながら、リビングの中心に誂えられた食卓用テーブルに頭だけを左に向けて載せたエドに近付いていく。彼の両腕はだらりとカーペットに項垂れるように力なく貼りついていて、左耳の青いピアスはおざなりな雰囲気でルームライトを反射している。 エドの口角からはだらしなく涎が一筋垂れ、横たえられた頭の横には、洟でもかんだのか丸められたティッシュが置いてある。使ったコップはテーブルに置きっ放し、床には制服を脱ぎっ放し、果てはその制服に自分で躓いたと思ったら「なんで片付けてくんないの」と俺を非難する。お門違いすぎる。 「おい、風呂、あいたぞ」 一応彼の身体を軽くゆすってみたが、俺も毛頭起こすつもりなどなかった。こんなにぐっすり寝入っている時に起こそうものなら、エドは無言で俺の腹にパンチを繰り出してくるはずだ。何故起こすのだ、今ちょうど絶世の美女とベッドインしそうなところだったんだ!とか喚き散らしながら、だ。 食器も制服も片付けない、口は悪い、言動は無茶苦茶、涎は垂らして眠るし、使用済みティッシュさえゴミ箱に入れないときがある。俺も悪趣味だよな、と我知らず本音を漏らしてしまう。十年近く前、俺がカリンに説いた理想像とはまるで対極だ。 それでも、かたく閉じられた瞼をレースのように縁取る琥珀の睫毛が微かに揺れるだけで、どきりとしてしまう自分がいることは知っている。情けない。情けないが、そういうものなのだろう、恋などという大儀なものは。 床に散乱したDVDやら下着やらワイシャツやらに視線を移して、明日は休日返上して朝から掃除だな、と考え、思わず気鬱になりかける。しかし、だ。 「・・・・・明日のことまで、」思い悩んではいけないな。聖書の言うとおりだ。 主よ、と胸に十字を切るような気持ちで祈る。この少しばかり阿呆な恋人が、せめて制服だけでも畳めるようになりますことを。アーメン。 そこで、ばっとエドが顔をあげて突然起き出した。そのまま時計を確認している。あっ!と大仰にも奇声まであげた。 「ドラマ!終わっちゃったじゃんか!」怫然として色をなしたエドは、例に漏れずお門違いな非難を飛ばしてくる。「今日最終回だったのに、なんで起こしてくれないんだよ!」 見逃しちゃったよ、とエドはがっくりと肩を落としている。 そうそう、カリンはいつも、こんな顔をしていた。 意外に二人は似てるのかも?という 一応そんなオチ笑 ロイとカリンの小さいころの話を書きたいなあと思っていたので・・書いてみました! 短いのでオマケに載せようかとも思ったんですが、オマケにはちょっと長いので・・こういう感じにしてみました。それにしてはちょっと短すぎますねすみません・・ 「キリエ・エレイソン─主よ、憐れみ給え」 *このお話はオフ本「★三毛猫ヤマト★2」に収録されているロイサイド番外編とは別物です。 |