(★三毛猫ヤマト★T 番外編/ロイサイド) エドは声を操るのが、上手い。 彼が「あ」と、書面にすればたったの一文字、それを吐き出すだけで、大抵の、彼の情調の発露が汲み取れる。そしてたった今この場で紡がれた「あ」は、如実な不機嫌を凄烈に打ち出していた。 「・・・・・なに」湿気で怪異な軋み方を繰り返す、昇降口のスノコ板の上で、彼の発した「あ」に、灰も塵も付かぬような態度でレスポンスした。 「傘、盗られた」俺が今朝、大儀がるエドに無理矢理持たせたのだ。「最悪、まだ超雨降ってんのに」 「だから降るって言ったろ」 俺は恩着せがましく、今朝披露した己の機転を蒸し返してみる。黙って俺の言う通りにすればお前は大過もなく日常を送れるのだ、と、暗に匂わせている。そうして俺は彼から、『優位』の座を確実に奪っていく。人間、成績だけが優位・劣位を左右するものではないと、わからせる必要があるのだ、こいつには。 「・・・・・でも盗まれたら一緒じゃねーか」エドは俺をじろりと睨む。 「詮無き結果論だな」 「うるせえ、ロイに言われる筋合いはねーよ!」そう声を荒げてから、自分の傘が刺さっていない傘立てを恨めしそうに見遣る。「・・・・・やっぱり、名前とか書いたほうがいいのかなあ・・・・」 「アホ、書いたらもっと盗られるに決まってるだろ」 学園内には、妙な党派、つまりはエドや俺の熱狂的なファンたちが犇きあっているのだ。この傘はエドないしは俺の傘です、なんて記名という方法で表明したら最後、盗られるどころか傘を細かく切り刻まれて仲良くみんなで山分け、なんていう事態にもなりかねない。 「あ、それも、そうですネ」エドはあっさり頷く。 というわけだから入れてくれろ、と強引なまとめ方をして、エドは俺の傘に割り入ってきた。 「職員室で借りてくりゃいーだろ」身勝手なエドを諌める。甘やかしてはいけない。 「もたもたしてたら、スーパーの特売に間に合いませんわ、奥さん」 ちっ、と俺は舌打ちする。エドがこうして特売特売と小姑のようにうるさくなったのも、俺が感化したせいだ。所帯持ちの下手なエドを、俺がこうして更正させたのだから、その俺自身がスーパーのタイムサービスに遅れるようなことがあっては示しが付かないというものだ。 仕方なく、俺とエドはチープなビニール傘一本の傘下で肩身狭く、歩き出した。 梅雨、というものを殊勝に具現化してみせる雨の重圧に、チープなビニール傘を盾に、どうにか対抗する。たとえこんな安物の傘でも、もし無かったら雨の重みに押し潰されてしまいそうだった。そんな濃厚な雲が空全体に垂れ込めている。 「・・・・・泣いてる、」 脇を歩くエドがぽつりと言ったので、俺は反射的に彼のほうへ視線を落とした。彼のほうを見る、ではなく、身長の関係で、彼のほうに視線を落とす、という表現をしたことが彼になんらかの理由でばれてしまったら、俺は憤怒するエドに傘を奪われ、ずぶ濡れで帰宅することになるだろう。 「何が」俺は尋ねる。「まさか、空が泣いてる、なんて、言うなよ。鳥肌を立たせる準備がまだ整ってない」 「そんな陳腐なこと、言うかよ」エドはちょっと唇を尖らせた。耳たぶの赤いピアスが曇天を映して鈍く光っている。「神様が泣いてる、だ」 「一緒だ」呆れ返ったような溜息をつく。「同等に、陳腐だ」 「雨は神様の涙だって、小さい頃、よく言ったろ」 「言わん」 「お前は『子ども』というものが辿るべき道を大いに踏み外してきている」 エドがむすっとしながら眉を寄せる。それはお前だって一緒だろ、とあわや言いそうになったが、辛うじて堪えた。小学校だってほとんど行かせてもらえず、父親に付きっ切りのスパルタ教育を受けていたらしいエドの『子ども』時代が、一般的で全うなものとは到底思えない。だが、そんなことを言うのは野暮天というものだ。だからそんな、くだらなく、子どもじみたエドの戯れ言に付き合ってやる。彼は『子ども』時代に辿ることができなかった一般的で全うな『辿るべき道』を、こうして俺の横で繰り返すことで、幼年期の辛い記憶の穴を埋めようとしているのかもしれなかった。 「神の涙、ね」本当、陳腐だな、と俺は笑った。「だけどだったら、逆に濡れたくならないか、傘なんて差さないで」 「へ?」言いだしっぺであるはずのエドが間抜けた声をあげた。 「ご利益ありそう」 「馬鹿か、お前」唯物的な奴だな、もっと浪漫という言葉を知れよ、とエドはむくれた。「なんかケチくせーぞ、そういうの」 「スーパー特売に躍起になるようなお前だけには言われなくないな」 「な、それはいつもロイが──あっ!」 エドが奇怪な声を発したので、俺は驚いて彼を見遣った。 「わ、ロイ、お前左肩、びしょ濡れ!」 ん? と漏らしながら、自分の左肩を確認する。確かに、傘から思いっきりはみ出て、雨ざらしになっていた左肩は絞れるほどに濡れそぼっていた。「あ、本当だ」 「『あ、本当だ』じゃねーよ! どこの楽天家だお前は」 エドはいそいそとバッグから体育で使ったタオルを引っ張り出し、オレの左肩に当てた。 俺が左側、エドが右側に立って歩いていたから、無意識的に傘が右の方へ寄ってしまったのだろう。もちろん傘を持っているのは俺だが、まあ、俗に言う、惚れた弱みだとかいうやつで、まるでエドを庇うように、彼が濡れないようにと働きかける腕は無意識なのだ。 「オプティミスト、いい言葉だ。ペシミストなんかよりは、よほど良いな」俺は左腕をエドに拭ってもらいながら、少々優越的な気分で、言った。 「うるせーな、黙って拭けよな」そう怒りながら、乱暴に、それでも隈なく俺の左腕の水滴をふき取っていくエドの方に傘がかなり傾いていることを、彼はいつまでも知らないだろう。 エドのほうへ傘を傾けて、少し濡れてみるのも良い。 左肩が濡れて、それをぶつくさ言いながらもエドが拭き取ってくれる。狭い傘下で、俺たちの距離は一段と近しくなる。 ああ、ご利益だな、と俺は胸中で思い、笑った。 ぽたりと傘の淵から雨露が滴り、俺のえりあし辺りを濡らした。 ささやかなご利益をもたらしてくれる、神の涙だ。 *このお話はオフ本「★三毛猫ヤマト★1」に収録されているロイサイド番外編とは別物です。 |